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石の上にも

20120517













三年が経ちました







それこそ紆余曲折、色々とありましたが
バタバタろくに準備も出来ずに日本を発ち
そのままグチャグチャになりつつも帰国する事無く丸三年


いや、
準備自体はこの構想が生まれてから
実際に出発するまで数年あったのだから
時間的には結構余裕があった筈で


正確に書くとすれば

『覚悟の足りないままに出発した』

であるかもしれない




準備と云えばまずはお金が大事
だから準備期間中、お金を貯める事は勿論した

お金なんていくらあっても足りるもんじゃないし
考えようによっては十分と思えたりもするし
だからそこに関しては兎や角自分に対していうつもりはない

文句を付けたくなるのはこのブログの辿ってきた道筋その様に
あっちいったりこっちいったり
一向に落ち着きをみせようとしない気持ちだ




出発した時、

それは三年前だから今から比べて当然若いとはいえるも
それでも25歳

時間や環境に流されないような考え方が
出来るようになっていて十分な歳

それなのに僕は沢山の可能性を残そうと
何も決めずに日本を出てきた




その当時、周りを見渡せば
みな仕事を決めいやむしろ
もう既に第一線で活躍している人達ばかり

付き合う人達もどんどんと幅が広がっていた時

僕はいつまでも話や経験を聞くばかりの
『子供』のままだった

そしてそれでいいと思っていた




その想いがある極限まで達してしまったのか
遂には社会に出ずにこのままで世界に飛び出してしまおうという

「そういう輩がいても面白いじゃないか」
「これから大志を抱いて夢の中に飛び込むのだ
 子供で有り続けるべきだ」

上手い正当化を見つけ出してきては
周りに「聞いて!」とせがむ




そのくせ具体的な所ははぐらかす

「目的は?」
「今から行って、帰ってきてからどうするの?」

「そんな野暮な事を聞いてくれるない!」

何とか口で説明しようとするも
回りくどい事を並べ立てながら
結局その実、何も決め切れてないという事に対する言い訳


タチが悪いは自分自身に対しても
そのような説得に走る

「今興味がある事、そればかりに気を取られていたら
 折角、沢山の出来事に物が溢れているだろう世界に飛び出すにあたって
 自分の知らない宝物を見逃してしまう可能性がある」

フンフンと鼻息荒く納得して
僕は何も決めないという事を『決めて』出てきたつもりになっている


この場合、『決める』とは数ある選択肢の中から一つ選ぶ行為であって
僕は何も選べてないのだから、やっぱり何も決めていないのだ
それはただ結論を先送りにしたに過ぎない


いつかのブログにも書いたような気がするが
可能性と発言する時は、あくまで自分との間の『実現』可能性なのであって
むやみやたらの無限な可能性は論じないようにしている
特に選択を伴う話の場合は

選択肢が思いもつかないのだったら
可能性もやはりゼロ

可能性とは全くの空想では無く
仔細な情報を組み合わせた
極めて具体的なイメージの話なのだから


だから、選択肢は有限の筈で
選択の先の可能性もやっぱり有限の筈なのだ






そうやって声を大にして言えるようになっただけ
僕はこの三年でちょっとでも成長したのかもしれない



























どんなに冷たい石だろうと

その上に三年も座っていれば暖かくなる




























ここで云われている三年というのは単に『長い期間』を表すらしく
三年間というのにこだわっている訳では無いという

そうはいっても日本の社会でこの三年というのは
一括りの期間としてはよくみかける数字で
それは仕事や学校や恋愛までいたるところである

きっと社会システムのリズムに関係するのであろう


ここで云う『長い期間』が三年であるというのは
日本人にとってはしっくりくる表現と云える

だからみなに浸透する言葉になっている訳だけれども











さて日本を飛び出して三年経った

僕は一体どんな石に座っていたのだろうか








冷たい石?




どちらかと言えばただただ興奮して出発した当初
そこから随分と冷静になって物事を捉えるようになった

初めに熱い石があって、冷めたのかもしれない




いやいやそもそも

移動し続けていて常に何かの刺激にさらされながら
逃げるようにして地球を這いずり回っている状態で

座り続けている事など無いのかもしれない











でも、















『それでも三年経った』




















というのがこの言葉の意味するところであるだろう



冷たろうが熱かろうが
三年も経てば物事は変化するという

突き詰めようが逃げ回ろうが
三年も経てば思考は変化するという



どんなに鈍感でノロマでも

何かの変化が表れて新しいモノが現れるという


















この世において物事が変化するというのは

突如ひっくり返るというよりも
日々徐々に変化が加わっていくというのが自然であろう


『変化』という言葉にはそれまでの過程が
無意識なりとも内包された表現である





現代になって資本主義が席巻し
結果が以前よりも重要視されるような世界にあって
ついつい変化を求めてしまいがちになる

変化をいつも意識していると
どうしてもしょっちゅう振り返ってしまう


「この取り組んだ一週間の成果は」

「一ヶ月の経験は活きているのだろうか」


結果を気にしすぎると過程をおそろかにしてしまうが
過程を抜きにした結果というのは
どうしても心細いモノになる

神羅万象、流れの中にあるのだから
ある一点の事柄をそれのみで評価するのは
確かに心許無い、というよりも
言ってしまえば摂理に反するというものだ


だからこそせめても判断を下そうという時には
比較したくなってくるもので

だが、その比較というのはまた結局
二点間の差異を炙り出そうという所にどうしても重点がいってしまって
小さな変化を躍起になって探すという行為になりがちだ


変化に過程という意味が内包されているというのならば
比較の末に見つけ出すべきは過程の痕跡である


結果主義からすればなんと甘い発言だろうと叩かれてしまうが
人生80年という現代の人の時間的感覚において
一週間や一ヶ月で変化を見極めるのは少し酷な話ではないだろうか

だからそんな短い期間の比較の末には
過程の痕跡を求めるべきではないか






じゃあ、変化はどう評価すべきなのか


きっとそこで人を後押ししてくれるのが
この三年の期間なのではないか

どんな紆余曲折があろうとも三年経てば
何かハッキリとした地点の変化が見て取れる

筈であるという


逆に云えば三年も経つ前から
いちいち変化を求めずに振り返らずともよい

それまではただひたすらに取り組みなさい
三年経てば自ずと変化が見える

という言ってみれば甘い文句であるかもしれない
















さて僕に起きた変化とは何だろう

それはやっぱり先に書いたような選択の話かもしれない





石の上に座り続けて

右に左に体重を移動させたり
意味も無くジャンプしてみたり

そうして今では何処が居心地のいいポイントかもある程度は分かる
色んな事をして同じ石に対して随分と理解が進んだ




初めは頑固に座り込んだ気がする


絶対に納得するまでは帰国しない
絶対にする事
絶対にやらない事

身の安全や周りを説得する事に精一杯で
兎に角色んなルールを作り出した

将来的な話を何も決めない
一本に絞らない

というのもその一つだ




ふとそういう最初の頃の自分と今を振り返ると
随分と今の心の中は軽いな、という感じを受ける


勿論最初に決めたルールだ
ある程度は貫き通したいと思う気持ちもあるが

どちらかといえばなるようになるだろう
どうしようもないところはどうしようもない

という『柔軟性』を強く感じる




旅をしていると色んな理不尽な事が降りかかってくるから
『絶対』という言葉が通用しないというのを
いつの間にか受け入れてきた、というのもあるだろう


それはつまり

きっと硬い石を自分なりに座りやすいように
削ってきたのかもしれない

これに関しては
どんなに硬い石でも長い年月のうちに風雪で穴があくという
『風雪、石を穿つ』という文句の方がしっくりくるかもしれない



初めは怖くて削る事も出来なかった
硬い石に対抗するような度胸も自信も無かった

それがいつの間にか年月が経って
削っても大丈夫だという十分な裏付けを持つだけの
経験を見て回ってきたのだ





そうやって重みと年月によって丸くなった石は
自然と柔軟性を持ったと云える



















そう、きっとここで云う『石』とは
『意思』という事なんだろう


少なくとも旅の期間を通して感じている僕の場合は
そうだったかもしれない


























この文句を今実際三年経って呟いてみてふと思った事がある

果たして三年座ったこの人は
次はどうするのだろうか


新しい冷たい石を探して
またそこに三年座ろうとするのだろうか

それとももうそんな事はしないで
立ち去ってしまうのだろうか






柔軟性を持ってきたという事は
つまりは選択肢の増加を意味する


出発前のむやみやたらに将来を大事にする
無限の可能性からくる無限の選択肢ではなく

ハッキリと道を示す選択肢の増加






となればじゃあこの石を降りて
ある選択肢を選択して前に進んで行くという事だろうか



いや、違う


実際にこの三年目に立って僕が言える事は


















まだこの石の上に座っていたい、

と願う気持ちだった
























それはそうである


自分に合った形に石は形を変化させ
自分もどういう位置に座れば居心地が良いのか知っている

今までで最高の噛み合わせになっている
この状態からわざわざ降りようという気持ちには
なかなかならない

しかもまだまだこれからも伸びていけるという
可能性を感じるのだから






三年という意味は

振り返ればそこにどんなに遅々であろうとも変化を認められると
その訳は、ここで終わらせて足ると云う意味に在らず




変化が必ずそこにあって
その変化を認めるという事実は

きっと次への一歩に繋がるであろう




人生の中で延々続いていくという歩みの中で
その足を留めないようにする為の


これは

暗示の文句なのだ










まだ座っていたいと願う気持ち


そう思っただけ



やっぱりこの三年には意味があった













そうして次の一歩を踏み出す勇気も持てている今


無限の可能性に振り回される事なく
有限の選択肢を決めて進んでいけるだろう


















ん?



これは『固い意思』なのだろうか?








でも大丈夫、


また年月を経てこの石は丸く柔らかくなる





20120517.jpg













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ここにいるよー!

[20110517]






ずーっとほったらかしにしていた


基本的に自分の手が加わる事によって変化を許されていた物だった筈なのに
気が付いてみると埃を被ってかつての姿と変わっている
そんな感じでスポンサーサイトがトップに出ていた僕のブログ

ずっと更新が無いとスポンサーの広告が一番トップに出てくるというシステム

最初はショックを感じながらもまたそれにも慣れてしまって
埃が被っている状態がその物の本来の姿に取って代わる

















そんなある時、




その埃を気にしながら
つまむようにしてページを開いた

久々に自分のブログを読み返した



旅の道中録ではなく
何年も何年も付き合っていながらおぼろげで捉えきれない自分の内面を
何とかして言葉に吐き出そうとしたいくつかの記事


新年を迎える時の抱負を書こうとした記事
日本を出てから一年が経って変化を見出そうとした記事
本を読んで沢山の想いを整理しようとした記事


ブログを書いている人はわかるだろうが
どんなに記事数が増えようと意外と個々の内容は覚えているもので

これらの記事の事も勿論僕は覚えていて
あるフレーズやテーマなどは思い出せる





でも、





読みながらどんどん興奮してのめり込んでいる自分がいる事に

びっくりした


個々は覚えているけれども
次にこういうフレーズがやってくるのはわかっているけれども

それでも興奮がやってきた






興奮というよりも心臓がバクバクいう感じ

僕自身が書いたブログだし
僕自身の事について書いたブログだし
ある程度楽しめるのは当たり前で
激しく自慰的なのは理解しているのだけれども

それとはまた違った所で
僕はとても満足して読み返していた

もう埃を気にせず
汗を掻きながらべっとりページをめくっている

















『自分の事は自分が一番わからない』



そうだと思う
それは僕なりに正確に書くとすれば

『自分の事は一番自分が混乱しやすい』




いつも自分は僕の心に接していて
四六時中傍にいる

常に僕は変化しているし
何かを得ている

他人に対してならそういう事も無い
常に僕の目の前に居る訳じゃないから
僕の目の前からいなくなったらゆっくりと整理する時間が訪れる
次会う時までに無意識にでもおぼろげにイメージは出来上がっていて
会った瞬間に過去が思い出されてイメージが補完されたり

僕自身の場合は整理している間にも僕は常に変化している
環境はひっきりなしに情報を与えてくる
当然整理は追いつかない
僕を捉える前に僕は前に進んでいる

そういうのを繰り返しているとそれが当たり前で
答えの出ないものとして
その縮まらない距離感を保存して前に進むようになる

実際に行動して刺激を得ている僕と
それを踏まえて経験として頭に整理しようとする僕と
その二人の僕の距離

距離がある間の空間をひっくるめて『僕』
ある程度の矛盾も受け入れて生きているという事になるのだろう


頭でっかちな僕は
実際に起きた事を自分の経験に吸い込ませる方程式を用意する
そうすれば距離を毎度毎度推し量る必要も無く
すぐに悩みだす頭を落ち着かせる事が出来る






ただこうして旅に出て
今まで慢性的に情報を与え続けてきた環境から一時的に抜け出した状況で
僕はそのカラクリに触れるチャンスを得たと思った

旅の中にいてしまえば
社会からの保証が無い代わりに強い決意と代償が無くても
環境に対して比較的自由にスイッチが入れられたり切れたりするから

だからカッコ悪いようだけれども
煩わしいようだけれども
いらっとくるようだけれども

僕は旅中の景色とは全く関係無い
僕の内面の景色を必死にブログに書いていた


ような気がする







僕の中で時には無意識に時には意識的に作り出してきた方程式
二人の僕が一体として存在する為の方程式

それがどのような物で
どのようにして形作られてきたのか

そして方程式以上に
外で活動する僕とは別の表には出てこないもう独りの『僕』が
実際どんな存在なのか
はたまた存在しないのか

それを知りたかったんだろう



もともと様々な現象を
カラクリとして捉えて解き明かそうとする過程が好きな僕は
きっと自分なりの最大の難問として僕自身を対象にしたんだと思う





















そんな事を思ったのも
今回ブログを読み返して楽しめたからだろう

何度も何度も納得して安心した

僕自身が書き出した言葉に文章が
すんなり今の僕にも入ってきた

書いた時とは違った場所に居て違ったリズムを持っている今の僕が
全面的に受け入れられる過去の僕
そこには普遍的な物が横たわっている筈だと信じたい



先にブログの内容は意外に覚えていると書いた
じゃあ実際に読んだこの興奮は何だろうか

言葉はそのフレーズだけで独立している訳ではない
その書いている瞬間は何かの絵をイメージして書いている
一生懸命に書いている

一言一句見逃せない
何故なら全体像をそれぞれが繋がって描きあげているから
数珠繋ぎになって大きな一つの絵が

その瞬間の僕が居るから

全てを完璧に書ききるなんて不可能だ
そんなのは分かっている
でも、それでも絵がどんどんと大きく詳細になっていく
そこに強い共感と安心感が伴えば

それ以上の達成感は無い


















埃の被ったページを開いた















今日は僕が日本を出て二年が経った日

















直前になってふと思い出した
きっと無意識に何かが反応したのか


一年前の
日本を出てから一年が経った日に書いた記事を読み進め
最後にびくっとした


一年前の僕は
一年後の、今の僕に呼びかけていた


彼はこんなふうに聞いてきた


「一年後の『今の僕』、何してるのー?」




彼は東南アジアを抜け
ネパールで初の本格的トレッキングを済ませ
かのインドに遂に足を踏み入れていた

本格的に旅らしくなった日々にいた彼



今の僕は

ユーラシア大陸を抜け
倒れ込むように新大陸の端っこに流れ着き
ずっと求めていた家の温もりと打ち込める仕事を見つけ
すっかり旅の疲れも抜けて生活を満喫している






シャワーを浴びるついでに一緒に手洗いで洗濯をしていたのが
アパートに併設の洗濯機に押し込むだけ
何かの記念の時や人と出会った時だけに我慢していたお酒が
今では上質のワインを買い溜める

沢山の選択肢を整理して一日何百キロも移動していたのが
ずっと同じ場所との行き来を繰り返すだけ
少しの落差も見逃さず太陽の下何時間もリュックを背負っていたのが
一日二三時間歩いただけで弱音を吐く






旅は欲

とまで言い切っていた僕
今ではきっとその欲は薄れ影を潜めだしている

それはまさに今『定住』を満喫しているから


何も間違いでは無い



大事なのは何かを引き継ぎ続けているという事




行動する僕と経験する僕

その間には確かに距離は存在するけれども
一体として否定できない僕なのだ


前を行く僕は後にいる僕に向かってしっかり付いてくるように鼓舞する
後ろから行く僕は前にいる僕に向かって愛しむ様な目線で支えようとする



行動する僕は今の一瞬でしかない
経験する僕はそこに一致する事は不可能だ
でもそれはつまり
なるべく近くなら例えば昨日の僕でもさっきの僕でもいい
そうでなくてもそれこそ一年前の僕でもいい訳だ

それが全ての経験としての僕


行動する僕を受け止めてくれる僕がどこかにいればいい


それを今回このブログで発見したのかもしれない





さあ、

あとは行動する僕が前を見て
またひたすら歩き続けるだけである


また、いつかその僕は経験する僕になって
前を歩く僕を捉える時があるだろう

そんな時に受け止めて支えになれるよう
やはり前を向いて思いっ切り進むだけだ










一年後の行動する僕


どこを見ているだろう

何でも僕はそれを応援しよう
それを後押しする為に
今を精一杯満喫しよう
























最後に、

激しく私事として書ききってしまった今回の久し振りのブログ
タイトルを見て今の街の描写があると思った方、すいません
私事の記念日であるとして許していただきたい


あー、はやく旅のブログも書かなきゃ、、






386日経ちました


さて、長々と昨日書いてしまったが
とりあえず無事に一つの言葉に辿り着いた訳である

ただそこに至るまでいつの間にか時間は過ぎていってしまっていて
気が付いたら日本を出てそれなりに経った
正確に言えば386日経った(2010年6月8日現在)

386と数字で書くとそうでもないような感じがしてしまうが
1年と21日間と書けば何となくまとまった時間がそこにはあるような気がする



一年が経てばどんな組織に居たって
学校でも会社でもいつの間にか後輩が出来ているものだ
その差は大きい

あたふたあたふた色んな新しい事に追われているうちに
気が付いたら何かを聞かれる立場になる

先輩からいつも新しい事を叩き込まれそれを覚えてもまた現れてくる新しい事
一体どれ程あるのか自分にとっての『新しい事』は
それは途方も無く続いていくような気がしてしまう

そんな感じであっという間に時間は経ってしまうのだから
自分はまだまだ知らなきゃいけない事が山ほど残っているし
それを確かめる機会もなかなか現れない訳で
毎日を必死にこなしていく

そのうち一年の節目はやってくるのだが必死な毎日をずっと繰り返してきた訳で
それを止める事はなかなか出来ないし実際先輩との位置関係は変わらない
そんな訳でそのまま新年度に突入するのだがそこには新しい存在が居る訳だ

最初はそんなに気に留めないかもしれないが
その彼等がなんと自分に色々と聞いてくる
そしてなんと自分はその質問が理解できて答える

そうすると後輩は「ありがとうございます!」だなんて言って
メモまで取り出す

また聞かれる
また答えられる

それを繰り返しているといつの間にか一年前の自分を
その後輩に重ねて見たりしてその時初めて

「あぁ、一年経ったんだな」

と感慨深い気持ちになったり
人によっては少し大きな気持ちになるかもしれない



そうだからまあ一年は大きい
特に最初に経つ一年というのはまた振り返るにはちょうどいい
比較する時にそこにある変化が明確で大きいだろうから



フラフラしている僕に後輩などいる訳も無いから
重ねて見る対象は一年前の自分しかいない

一年前の僕と言えば昨日書いたようにこれから旅に出るという事で興奮し
そしてどのようにしていくべきかをアタフタ試行錯誤をしていた日々であって
それから考えたら随分と落ち着いてフラフラ出来ているような気はする

振り返れば途中途中『定住』をしながらも
それでもそれなりに色んな事をして色んな場所へ行き色んな事を感じたモノである

昨日のホームページの話だが
ちゃんとトップページには僕が辿ってきたラインが描かれていて
幸せな事に目に見える記録として残っている

このブログだって三日坊主の僕が
まあよく続けているなと自分自身で感心するほど記事数は溜まってきて
いや読み返すとなるとウンザリするくらいになった

それらは自分自身の記録であるから
日記を紙媒体に書いていない僕には貴重な自分の資料である


何処の場所も色濃く僕の記憶の中には残っているけれども
それでもどうしても人間は忘れていく生き物で
細かい事は旅の事であっても既に思い出せなかったりする


僕達は小遣い帳をつけている
いちいちそれを持ち歩く訳では無いので一日が終わる時に書くのが基本だが
それでも面倒くさくなったりして次の日に回したりしてしまう時がある
一日にお金を払う時なんてそんなに回数無いのだから覚えていてもいい筈である

それでもある街に留まっていると行くお店も場所も大体決まってきて
一日のリズムが殆ど一緒の時もあるのだが
人間とはちょこっとした所で変化を求めてしまうようでいつも行くお店で

「いつもあんかけヤキソバだから今日はあんかけ炒飯にしよう」

とすると途端に次の日に会計が思い出せなかったりする

「昨日の昼食ってどうしたっけ?いつも通りだった?」
「うーむ、、、」

となって愛二と二人して必死に思い出そうとするのだが
ほぼ常に一緒に行動をしている大の大人二人が
同じ時間と場所を共有していながらそれを共に思い出せない

こんなのは実はしょっちゅうあったりする


前日の昼食を思い出せないくらいなのだから
それは国を越えてしまうと思い出せない事はあるのは当然である

だからよく
「あー!ブログきつい!」
「やめて外でのんびりしたい!」
とかみんなで愚痴り合っていたが
それでも続けてきて良かったと思っている







こうやって一年の節目に立つと
大抵振り返った後に次の一年への抱負という事になる

歴史を教訓として未来を想像する訳である


何をするかな、何処にいよう
あーしようこーしよう

そこには沢山の妄想の世界が繰り広げられる訳で
とんでも無い映像が浮かんできたりして楽しいが
そんな妄想にもルールがあって必ず必要な物がある


それは自分自身だ


海上で石油採掘基地に赴いて一発当てるでもいいし
有人火星探査船に乗り込んで人類で始めて火星に上陸してもいいし
はたまたスーツを着てパソコンにかじりついてもいい

どんなに突拍子も無い映画を作ってもいいが
そこには必ず主人公が居る

だって自分自身の未来の妄想ですから


そんな妄想をしている中で『未来の僕』が突然こっちを振り向いて言う

「どう?こんな未来?」





「うーん、、海の上でひたすらに待つのはちょっと暇すぎるんじゃないかなぁ」

「じゃあ僕は?」

「うーん、、まずこの一年の間に有人火星探査船が出来ないだろうなぁ」

「じゃあ僕は?」

「え?君は一体何をしているの?」

「うーん、、」



『未来の僕』と『今の僕』の会話を聞いて『過去の僕』が割り込んでくる



「何でもいいけどさ、『未来の僕』君、一年経って『今の僕』君が居る所を見たまえ
 そんな所に居る訳が無いだろう」

「いやぁ、夢は大きく持てといいますし、これくらいの僕の方がいいでしょう」

「『今の僕』君をみなさい、昔の『未来の僕』君の姿に近づきましたか?」

「そんな事は知らない、それは『今の僕』君の問題であって僕の事では無い」

「それはヒドイ、僕達は決して交わらないけれども一心同体ですよ」

「それなら言わせて貰うが、僕は君と違って夢のある『未来の僕』ですよ
 いつもいつも僕の足を引っ張るような事はなさって欲しくないものです」

「そういう事を言うなら、僕こそ歴史であり象徴としての僕ですよ
 『未来の僕』君はいつもいつもフラフラして頼りないです
 もっとしっかりしてくれないですかね」



いつの間にか『今の僕』を通り越して未来と過去が頭の中で交差しだす
未来の妄想には過去に得た知識が元になるし
過去のそこかしこには昔に夢見た沢山の未来がずっとある

未来と過去が頭の中でイザコザを起こせば
それはもう面倒この上ないので僕はそこで妄想を止める


そうすると今の僕だけになる


スッキリする


目の前の遣りたい事がシンプルに現れる

例えばお腹がその時グーと鳴れば
「じゃああそこの美味しいあんかけ炒飯でも食べに行くか」
例えば次の日に街を移動する事を思い出せば
「予めチケットを取りに行かないとな」

それを繰り返せば自然と時間は経つし
歩いた道は出来てくる

食事をした後はどうしよう
次の街のそのまた次はどうしよう


今の僕は常に今の僕でしか有り得ない

未来の僕は無責任な事を言う
過去の僕は生真面目な事を言う







今まで通ってきた道はその時その時に小さくも大きくも
様々な夢や妄想を持ちつつ歩いてきた訳です

でも未来は好き勝手言い続けるし
過去はそんな放り出され続ける沢山の夢が捨てられてきたのを見ている

そんな両方を見るとその度にしっかり前を見据えようと思うのだが
別にそれに固執する必要も無いだろうと最終的には思う

未来にも過去にも縛られる必要は無い
その瞬間瞬間しっかり感じた事を心に留めて歩いて行く


それは紙の上に鉛筆で線を描くように一線が引かれるように
そうしたらそこには自然に立場というのが出来るというモノだ




線の右側に左側
上下左右



世の中にいくつもある線
国境だって年齢制限だってレストランのパーテーションだって何だって

それが見えなくたってそれを知らなくたって
自分が歩いていたらそこに線は出来上がる

友達を見れば彼は自分より左に居るから彼は左だなとか
自分より上にいれば彼は自分より上だなとか
人からみたらあの線より君の線は右よりだから
君は世の中的に言えばちょっと右よりだねってなる

右よりかぁ
僕はそんなふうに歩いたつもりは無かったんだけどなぁ

そんなふうに思った所でしょうが無い
もう知らぬ間に自分の立場は出来上がっている
道を通って行っている限り



だから何も自分自身で考えすぎる事はないじゃないか

だって誰かが勝手に判断するんだから
しかも知らない所から判断もされたりする
世の中のラインなんてすべて知る必要は無い
というか知れる訳は無い
だってそれぞれの人の居場所によってそれは見え方が違うのだから


日本の中から日本を見るのと外から見るのと
日本の中からだって日本人として見るのと外国人として見るのと

もっと言えば元々外国人で今は日本人になって日本を中からずっと見ていた人が
今度は日本の外に出て日本に友好的な国や全然関心の無い国とかを
常に移動しながら日本を眺めるのは

全く違う




立場なんてとりあえず放っておけ
それによって良し悪しが決まってしまう未来も過去も放っておけ

未来には真っ白な紙があるだけで
過去にはラインが一本引かれているだけで



今の僕は鉛筆を持っている手でしかない



もう『未来の僕』も『過去の僕』も勝手に言ってなさい
それぞれが僕でありながら実際に活動するのは『今の僕』なのだから
じゃあ『今の僕』が一番偉いでは無いか





一年前の僕が何かを思って日本を旅出ました
きっと一年後の僕も何かを思って何処かに居ます

一年前には『今の僕』がそこに居ました
一年後には『今の僕』が何処かに居ます

『今の僕』は今ここに居ます


このブログを始めた一番初めの日
確か海に向かって叫んだなんて書いた気がする

じゃあとりあえず『今の僕』も叫んでおきましょう
相手は『未来の僕』君ではありません
彼は妄想の中にいる人だから
彼の返事は期待するまい
そして呼びかける相手もまた返事をしない


「おーい、一年後の『今の僕』君、何処で何してるのー!?」


だって『今の僕』君はまだここにいるから
だからとりあえず叫んでおいて

さて、歩き出しましょう、今まで通り気の赴くまま
『欲』に駆られるまま










それにしてもまた写真も無しに長々書いてしまった
でもそこは一年の節目という事で許して欲しい
いや所々で『一年の節目』と書いたが正確には386日であった

本当はきちんと一年経った時に書こうと思っていたのだが
その日はネパールでトレッキングに出発する前日のドキドキの中であったのだから
そこもまた許して頂きたい







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    ふらふら何処かへ酒飲んで本読んで人と話してぼーっとして海に入って空飛んでバスに乗ってまたふらふら何処かへ、、何処へ?うーん。。とりあえずの試行錯誤継続鍛錬。

    2009年5月、日本を後にし、ゆっくりだけどそのうち加速予定。

    未熟ながらもなんとか自分の言葉で世界を書き起こしたい。ただいまその道中。


    name : LAN
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    latest update : 20120816
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