スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

お茶を飲みに行きましょう


久し振りに登場のルルの大学の友達、小可愛にイッキ
もう台湾滞在が残り少ない僕を思ってくれたみたいで
最後に何処に行きたいかをこの間尋ねられた
だらっとしてた割には結構色んな所を回っていたのでなかなか思い付かない

少し考えてそういえば台湾はお茶で有名だった事を思い出す
ネットで検索してみるとどうやら「坪林」という所が有名みたいだ


という訳で今日はそこへ


夏になったり冬になったりの落ち着かなかった台北の天気は
昨日からやっと春らしい陽気になりそれは今日も持ってくれた



電車に乗って終点まで行き
バスに乗って山道をどんどんと奥に進んで行く

バスの窓からの景色は緑に青
茂った木々の合間からたまに下に広がる小さな町が顔を見せる
太陽が右に見えたり左に見えたり
前に座る学生が窓を開けて静かで気持ちのいい山間を流れる風が肌に触れる
外の静けさとは対照的にバスの中は人々の声で騒々しい
数少ない座席には腰を曲げた老人達が立ったり座ったり
それで大声で喋り合っている

「おばあさん!ここで降りるんじゃないのかい!」
「あ、そうかね」

といって停車場の直前で下車鈴を押す
バスは急に立ち止まり扉が開かれるけど

「ありゃ、ここじゃないよ」

なんていって運転手まで巻き込んであーでもないこーでもないを言い合う
聞いてたら別にもともと知り合いでもなさそうだ
でも全くの他人でも無いみたい

「あー!あんたあそこんとこの、、!」
「うちのむすめはそこのすぐに近くに嫁いで行ったよ」
「あら、もしかしてあなた、、」

何処も田舎の風景ってこんなものなのかもしれない


20100331-1.jpg




着いた所も想像に違わずに田舎のイメージ通りの場所
大きな道の割りに人通りは全く無い
ちょっと横に入ればすごく狭い道が入り組んでいる
石畳の道がくねくねしている両側には錆付いた看板
そこには「茶」の文字
殆どシャッターに囲まれた薄暗い道
たまたま今日休みなのかそれとももうずっとこうなのか
中からは物音がする所もある


20100331-2.jpg


また大通りに出るとそこには川が流れている
緑色の川
汚いのか綺麗なのか
川底を見てみるとたまに反射する光
良く見れば黒い塊が蠢いている
背中が黒い鯉のような魚が沢山いる
その魚がたまに身体をひねって銀色のお腹を太陽に晒しているのだ
聞けば綺麗な所にいる魚のようで


20100331-7.jpg


河沿いの親水公園の前にある観光案内所で地図を手に入れる
そこにはすぐ近くにある観音像に向かう道が記されている
まずはそこに向かう為に学校のすぐ側に設置された登り道を登って行く

小高い山の上に作られたお堂に辿りついて
台湾式に三礼して線香を供える

金色に色付けされた観音像の下から山間に広がる小振りな町を見渡す
切り崩したというより川を挟んでへばりつく様にある町
どちらの側にも背景には山がある
山々にはたまに段々の緑が見えて
数人の被りをした人が茶葉を摘んでいるのが見える


20100331-3.jpg


ここを選んだ最大の理由
日本で結婚するという友達にお茶を買う
その為に商店を探そうと丘を降りる
さっき登ってきた場所は裏道らしく観音像の正面に並んでいる階段を下りていく


下まで降りると何処かの敷地内みたいだ
白く少しくすんだ壁
何だか見覚えのある入り組んだ構造
建物の目の前には陸上トラックの白チョークが

迷ったのか!?
でもまっすぐ観音像から降りてきたのに
近くの階段に座っていた制服を着た女学生に訪ねてみる
そしたらやっぱりここは学校だった
驚いた事に観音像までのルートは完全に学校の敷地内を突っ切っている

女学生は笑いながら
このまま進んで正門から出るのよ
って教えてくれた

今の日本の学校事情からしたら考えられない
でもよく考えれば日本も昔はこんなもんだったんだろうな
神戸での事件にそれからの日本の学校事情を小可愛とイッキに言うと衝撃を受けていた


大きな急須のモニュメントの側を通っていくと
沢山の茶屋が並んでいる所に出た

何処も緑色の看板に「茶」と書いてある
中には茶葉が詰まった背丈の半分以上もある大きな袋が
何処に入ればいいのか見当もつかない
回りを見渡しても誰もいない
僕達しか居ない

適当に入って色々と聞いて回るしか手はなさそうなので一つの店に入ってみる
そうすると一人の世話好きそうなオバサンが出てきた
立ち話もなんだしと席に通してくれてお茶を入れてくれた

どんなお茶がいいのかわからない
ただ知っているのは「南方烏龍茶、北方包種茶」という言葉だけ
台湾の北の地方、そしてここ坪林で有名なのが包種茶という茶
ただ僕には一体この包種茶というのがどういうものかわからないのでその旨を伝えると
じゃあ、と二種類の葉を取り出してきて飲ませてくれた

多くの人も知っているかもしれない
茶本来の飲み方というのか急須も湯飲みも濡らしまくる
それを初めて目の前で見る
まず茶葉を急須に入れてお湯を容れ
それをすぐに湯飲みに入れてその薄い茶をすぐに捨てる
香りと陶器の温度をそれで整えさせる
容器にお茶を入れる準備をさせるといったところか


20100331-4.jpg


次に茶葉をじっくりお湯に浸して湯飲みに容れて出される
どうやって表現すればいいのかわからない
お茶は確かに好きだが違いが判るほど知ってるわけでもないし
少し熱かったので味があまりしない
そうしたらじゃあ少し待ってまた容れてくれた
それでもすごくほんのりとした味に香り
どうやら包種茶とはそういうものらしい

人それぞれの飲み方に好みがあるから
それによって容れ方も変わる
そういいながら今度は茶葉の違いについて色々と話してくれた

別の包種茶を容れてくれる
確かに違うような、、もうちょっと味が濃い目??
あやふや
違いをしっかりと感じて選ぶような貴族的な人々を思い浮かべて
変な劣等感を感じたりする
間違いなく偏見からくるのだろうけれども
結構色んな物を好んで食べられてしまう僕は
自分の舌を全然信用していないしコンプレックスもあったりする

茶屋のおかあさんはそれに気が付いたみたいで
じゃあもう一杯この二つ目の包種茶を飲んでその後に一つ目のを飲んでみて
二つ目の茶の香りがしっかり口の中に付くから
その後に飲むと違いが判るわよ

全くもっておかあさんのおっしゃるとおり
こんな僕の舌でも衝撃的に味が違った
味というより香りの違いが強いかもしれない


面白い
すごく面白いじゃん、お茶


そうやってまた違った茶葉を出してくれる
今度は烏龍茶
烏龍茶と包種茶の違いを説明してくれる

烏龍茶の茶葉はくるくるしていて塊のようになっている
包種茶の茶葉は真っ直ぐしていて葉の原型を留めている

烏龍茶などは塊になっているのでお湯でやらなくてはいけないのだが
包種茶は原型を留めていて元に戻りやすいので水でもいいのだそうだ


20100331-5.jpg


次に出してくれたのは僕も日本で聞いた事があるお茶だった
「東方美人」
これはお茶の大会で連続で金賞を獲った
素晴らしきお茶であると日本のテレビで見た事があった
兎に角高くて大変だ、という話を聞いていたのでまさかここで飲めるなんて

これはお母さんの話によると紅茶にも分類されたりするらしい
まさか!と思って容れた急須を覗き込むと確かにその液体は赤みを帯びていた
そういえばお茶というのはすべて同じ葉っぱから出来ているのだという事を思い出した
味は確かに別段の甘みがあって
包種茶のほのかな味とは違って強い香りに味を持っていた


お茶のお菓子まで出されて
気が付いたらお茶の講義は二時間にも渡って続いた
すべてが聞き取れた訳ではないが
それでもすべてが知らなかった事だらけで時間なんて全くどうでも良かった

一体何杯飲んだか判らないくらいにお茶を頂いてしまったので
さすがにここで購入しない訳にはいかない
まあお母さんもすごく親切で嫌味の無い感じだったし
買う事に躊躇は無かったな


20100331-6.jpg




川沿いを歩いていると木々に白い鷺が沢山留まっているのが見えた
小可愛とイッキが大声を出してうわーとか何の種類だろうとかなんであんな所に
なんて言っていると突然背後から太い声がした

振り向くとすぐ近くに大きな身体をした人が立っていて
早口で鳥の説明をし出した
始めはびっくりして笑っていた小可愛にイッキも
いつの間にか沢山質問していて太った彼も沢山答えていた


再びバスに乗って電車の駅「新店」まで戻る
気が付けばもう日が暮れようとしている
ここの場所も一つの観光地になっているみたいで
川沿いには一つの大きな吊橋がライトアップされて沢山の人が渡っている

小可愛がイッキにあの吊橋は昔のが確か何かで落ちてしまって新しく出来たのだよ
って説明していると
川沿いをサンバイザーを被ったウォーキングをしているおばさんが
急に離しかけてきて吊橋の歴史をひとしきり喋ってきた
いろいろと聞いてそのおばさんがまた歩き去っていくと
僕達は笑い合った


さっきの鳥のおじさんといい、この吊橋のおばさんといい

そういえば今日坪林で昼食を採った時も
僕達が何にしようと悩んでいると
別に隣の席でもなくて奥の席で一人で食べていたおばさんが
「ここの店の豆腐はすんごくおいしいのよ」なんて言ってきた
結局頼むと豆腐は売り切れだったんだけども
そうしたら「じゃあ牛肉麺にしたら?それも最高よ」
別にお店の差し金ではないとは思うのだが、、兎に角僕達に色々と話し掛けてきた
お茶屋のおかあさんだってよくも二時間も
しかもお茶にお菓子だってたらふく頂きましたし

みんなすんごく世話好きのお人良しだな




台湾人だから?田舎だから?
うーん




でもお陰さまできっと自分じゃ気が付かないことまで教わりました

帰ったらお茶を飲もう


20100331-8.jpg



スポンサーサイト

もう何処までもイッちゃおう



今日は久し振りに春の陽気だ
今月は夏になったり冬になったり忙しかった台湾が
疲れたのか本来の春の陽気を取り戻している

久し振りにカフェに出向いて空を見上げる
綺麗な青い空がある




台湾に滞在してもうすぐ三ヶ月が経とうとしている

随分居たな
旅なんて言っておきながら
色んな所を訪れると言っておきながら
すごくのんびりした時間を過ごしている

日常が淡々と過ぎていく


台湾という場所に長く居て沢山の事を見た

毎日精力的に色んな所に出向いた訳ではない
確かに三ヶ月も居たのだからそれなりに渡り歩いたけれども
それでもただじっとしている時間も長い

これは日本を出る前に豪語していた世界一周とは違った時間の流れ方



今一度旅を振り返る
特に東南アジアを振り返るとすごく急ぎ足だった

尚吾と愛二が台湾を経ってからもうすぐ一ヶ月が経とうとしている
思えばこの一ヶ月なんてあっという間
だけど少し前に戻って考えれば
一ヶ月は僕がベトナムを一番南から一番北へまで駆け抜けた時間と同じで


まだ始まったばかりだけれども色んな場所に国を訪れ
そこには沢山の景色があって期待通りの所も期待外れの所もあった
何よりもそこには確かに違ったルールを持った国々があった
景色はめまぐるしく変わり
違いが当たり前の時間を進んで行く

そこで感じるモノ
それが一番大事で一番求めていた事

でも気が付くとよく見えてくるのはいつも変わらないモノ
速く速く回っていく景色の中にいると
どうしても浮かび上がってくるのはいつも変わらないモノ


「出会いって何て素晴らしいのだろう」
「人はやっぱり人といないと何も出来ないよね」
「国境なんて何処にある」
「愛は世界共通だ」
「僕がここにいれる事がすごく幸せな事だ」


国籍、宗教、言葉、仕事
そんなのが霞んできてどんな人にも存在している愛情や友情が浮かび上がってくる
違った所ではお金の必要性だって身に染みてきたりする

そんな中でも特に自分の近くにあるいつも変わらないモノ「自分」
そんな自分が炙り出されてきて
色んな国を回って沢山の景色を見ていながら
考えが及ぶのはどうしても「自分」だ
そして存在している幸せ



じゃあ訪れた場所だから得るモノって何?



今思えば今までの場所はただ自分回帰の為の触媒に過ぎない
そうであっても良いとは思うけれども
ならばその場所である事は殆ど関係無い
この目まぐるしく過ぎていく景色の中身に意味が無くなってしまう

僕の最近のブログを読み返してみれば自分でもわかる
場所の重要性が僕の中でどんどんと欠落していっている





じゃあ何で僕はここにいる?
どうしてここを歩いている?





今回の長い台湾での滞在

台湾という場所について
世界の中での立ち位置というのが今回来る前よりもよく見えている気がする
これは本来僕が日本を出る前に求めていた視点じゃないだろうか

台湾の中にある文化に思想
それが根ざすいくつもの対立に歴史

これは僕の生い立ちが少なからず影響しているのかもしれないけれども
それでも今回の台湾滞在で得た沢山の出来事に話は
今では頭の中に確かに整理されて経験としてある

長い滞在が「自分」やら「愛」やら
そんな言葉からは離れてじっくりとこの場所を見れた気がする

実際この間ネットサーフィンをしていてたまたま覗いた台湾に関する記事
前回僕が書いたブログの内容とあまりブレが無い


きっと僕が感じられる限界のスピードがあって
今までは僕には少し早過ぎたのかもしれない
そんな甘い事は言ってられないのかもしれないが





場所にいる時間の長さが大事なのだろうか
ただ僕の見ている視点がぶれているだけじゃないだろか
それもあるかもしれない
でもそこには前に書いた「真理」と「日常」の違いがあるような気がする


場所が人間にとって意味を持つ理由
それは場所に内包された歴史
歴史が真理の保証をしてくれるという事

僕はどうあるべきか
どうこれから生きていくべきか
どう選択して歩いていくべきか
どの場所へ行くべきか

選択の判断理由を与えてくれる


沢山の場所を歩んで行く事は色んな景色を見せてくれる
沢山の経験を僕に与えてくれる
経験の積み重ねが人生になる
場所に照らし合わせてみれば人生は歴史

歴史を内包した場所を渡り歩く事は経験を得ていく事で
という事はそれぞれの場所を訪れる事はそれぞれに独特の意味がある筈なんだけれども
何でそれを感じる事に今自信を持って答えられないのだろうか
場所に重要性を見出せないのか

それは「真理」と「日常」を混同しているから






この旅に来て色んな出会いをしたし沢山の幸せを感じた

という事はこの旅は意味はあったのだろうか
いやそれは意味じゃない
それは前にも書いたけれどもただの旅の中にある
旅とは別の「日常」の話なのだ


仕事をしてお金を得る

仕事の遣り甲斐
すべてを遣り切って達成感を得る
お金を得て好きな人と何処かに出かける
その時に感じる幸せ

それはどの仕事をするかは直接的には関係無い
どの仕事を選択するかは関係無い
どれを選択したってその後どう感じるかに懸かっている


幸せは選択には存在しない
過去の歴史にだって存在しない
今この瞬間にしか存在し得ない
将来を左右する選択には経験や歴史が関係してくる
それは真理だ
それは生き方だ


幸せはつまり日常だ
だから混同する
真理にはやはり幸せは内包されない

歴史を踏まえて宗教を乗り越えてみんなの幸せを叫ぶのはおかしい
それは別の話だ
平和はシステムであって幸せではない

「日常のふとした一瞬幸せを感じるよね」って至極当然
社会の仕組みの中にいれば選択が存在して幸せじゃない

日常と幸せは殆ど同意義


「幸せ」って言葉なんて一体誰が作ったんだ!


だから日常の意義が薄れる
だから混同する

「幸せ」はすごく便利な言葉になってしまっている







今僕がこの世界を歩いているのは真理の為だ
より深い僕なりの真理を作り出す為だ
より違った場所に身を投じてそこから経験を得る事だ

だからその場所にある歴史を見る必要がある
そこにある生活を感じる必要がある

日常の生活を感じる事は幸せを感じる為じゃない
その場所にその日常がある理由、歴史を汲み取る必要がある








幸せ何ているものか




「世界一周しながら何でそんなに同じ場所に滞在なんてしてるんだ」
「ゆっくりとしてそんなの色んなモノを見ている事になるのか」
「色んな所に顔を出して人と会って最高だねなんて言って意味あるのか」


そう、その通り
僕にはもう何もいらない
真理の探究に日常は媒介であって最小限でいい

僕の内面はその為に犠牲になるべきだ
場所に無防備の自分を晒して幸せの日常に逃げ込まないで
それぞれの場所にある歴史に身を壊されるべきだ
その為に旅行ではなくて旅に出た


粉々に自分を壊していくべきだ
散らかる今までの僕の経験
そして新しいそこでの経験

人間はそんなに簡単に変わらない
でもこの全世界の大きさはそんなに甘いもんじゃない
無限に景色が存在する
大きな闇が広がる
完全な真理に至るまでの長い道に広がる闇

暗い闇を感じる
世界に広がる底なし沼の無限さを感じる
無防備になって感じるとてつもない恐ろしいくらいの広さ




最近久し振りにcoccoを聴いた
『強く儚い者たち』はやっぱりいい


『人は弱いものよ、とても弱いものよ』
そうだ僕の頭の中は簡単に壊れていく
簡単に逃げ込んで簡単に見失う

『人は強いものよ、とても強いものよ』
そう頭が壊れたって人間は死んだりしない
身体はそれでも動いている
頭はそれでも回っている




世界を回っていく途中にお金が無くなってくるかもしれない
そうしたら日本に帰るか?
帰る事を考えてルートを決めるか?

いや今はそんな事しなくていい
何処かでまたお金を作るか

でも何だか今は世界の何処かで野垂れ死んでもいい
行った先で足りなくなればそこでどうにかしよう
ダメならそこまでだ

「幸せ」を意識するな
幸せは常にそこにある
場所を見つめろ
歴史を汲み取れ
経験を積め

その場その場で最大限に砕けろ






何処かで見たセリフを思い出す

「『目的の為に手段を選ばない』なんてのがあるけれども
世の中には『手段の為に目的を選ばない』人間だっている」


僕のこの世界一周は沢山の景色を見る為のもの
経験を得る為
僕なりの真理を作る為
これからの人生の選択する力を付ける為

いやそんなのどうだっていいのかもしれない

人間の好奇心
日常という幸せというのがありながら
人が社会を作り出して知恵を手に入れて
様々な活動を生み出してきたその理由

日常とは別に「何か」を求める
知恵か知識か経験か真理か
そんなんじゃなくてただそうやって知らないモノを手に入れる行動そのものが
人間たらしめているのかもしれない





何だか今すごくネガティブだ
暗く自分が沈んでいく

あぁすごく気持ちが良い


これでこそ俯瞰して見る事が出来る
これでこそ全体を知る事が出来る

感情の起伏があってこそ人間的で
矛盾が経験に色を付けてくれる





ただ兎に角過ごしたこの台湾の生活
三ヶ月のビザの期間がもうあと少し
飛行機でここを経つ日まであと一週間


残りのここでの生活
もうどうにでもなれ
もうどうにでもなる


人間50年、あと30年
人間80年、あと50年
もうどうにでもなれ
もうどうにでもなる


残りの長い人生
残り一日の人生



どっちでもいい
どっちかしかない



あと一週間でやっと再開する旅
今も旅の最中
ずっと前から旅の途中



ずっと前からあったこの景色
ずっと前から回っている世界

一つの世界
沢山の世界

広い世界
細い世界


粉々の自分
もっと粉々になる自分






一心不乱に食い散らかしてやる、この世界






なんだかモヤモヤ



再び写真学校の撮影小旅行へ同行する
前回は台北の郊外だったが今回はもう少し遠出をして新竹という別の県へ


今日も早朝から学校の前で集合
行ってみると二台のマイクロバスが停まっている
前回にも増して人数が多い

遠足感覚なのか家族を連れてきていたりしてバスはパンパンだ
前の席との距離はすごく近くて
足を伸ばす余裕どころか体育座りみたいに抱え込まなくてはいけない
何だか久し振りに東南アジアの移動を思い出して
二週間後に迫った出発を思いちょっと心配になってくる







どんどんとバスは山を登って行く
右へ左へと曲がっていく山道は狭くなっていく

前の椅子との摩擦で膝は痺れてきている
その前の椅子には前回に引き続きおじさんの末っ子が乗っていて
車酔いなのかさっきまではしゃいでいたのに今は静かだ








二時間ほど経ってバスが停車した
そこは山間に流れる川の側に建てられた記念館の駐車場



歴史の教科書に載っていた筈
覚えているだろうか張作霖という人物を
僕もうろ覚えだが
日本が清に侵略する口実を作る為に満州鉄道爆発を自作自演した時の人物
確かそんなんだった気がするのだが
その張作霖の息子が実は台湾では有名人である

彼は一度蒋介石の乗る飛行機をハイジャックして暗殺を企てた
がそれは未遂に終わりこの地にずっと幽閉されていたという
その幽閉の期間が何と数十年という長期間に及んでいる

その彼の幽閉されていた場所が最近になって公開されたらしい
多分これも前に書いた台湾の政権交代の事がきっと影響していると思う



幽閉されていた場所に記念館を建てる意味もよくわからないが
周りを見渡してみると本当に何も無い


20100320-1.jpg


本当に山奥にあれば自然の姿に圧倒されるのだろうけれども
ここはどちらかというと開けた場所で小振りな集落も川の反対側に見える

集落も日本でいう藁葺き屋根みたいならまだ情緒というのも出るが
ここはコンクリートだったり石造りだったりトタンを被せていたり
まちまちでしかも妙につぎはぎに綺麗だったりする

何より人がいない



「20人以上は一度に乗らないで」
って書かれている何とも胡散臭い吊り橋

新興観光地にありがちなこの違和感
いつも思うけれども技術を抑える事が情緒を生み出す訳じゃない

「全て当時の技術で造ってみました」ならまだわかるけれども
表面だけ似せて一体何の意味があるんだ
残ったモノはその残った事に根本的に意味があって
朽ちたモノは朽ちるだけの理由があったんだ
現代の技術で昔の朽ちてしまったモノを真似てみたって
何の時代性も持ち合わせていないだろう

と言ってもこれを渡らないと向こうの集落に行けないので
結局20人いないかを確かめて歩き出す
悲しい


20100320-2.jpg




橋を無事に渡り終わる
左には日本でも見かけるような白いコンクリート作りの小学校
右には山間部にある集落の為急傾斜になった木製の階段
上って行くと綺麗に舗装された道があって
日本の自動車産業が大衆車を大量供給し出し始めたばかりの頃の
小さな可愛らしいマーチがくすんだ青色をして停まっていた
左を見れば下り坂で右を見れば上り坂
上を見上げれば昇る山肌が続いていてポツポツとトタン屋根が見えたりしている

上を目指し右の上り坂を上って行く
写真旅行としては最高の天気
太陽を隠す物は何もなくて全てがはっきりと色を持っている
でも歩いていると光は肌を焦がしてくるし
汗が溢れてきて進む足を止めたくなる

コーヒーショップのでかでかとした看板
まだまだ小さい苗木の並木
白い塀に蔦に覆われた高い崖
崖の上には頑丈な造りのきっとこの集落唯一の民宿
蔦には沢山の種類の花が色を主張しあっている


20100320-3.jpg


進めど進めど人が全く居ない
山の静けさだけが漂っていて必要以上に寂しさを感じる








バスに乗ってまた山を上って行く
さらに道は細くなって行く

さっきよりもさらに小さな集落に突然飛び込む
その一番端にあるレストランに立ち寄る
今日の昼食はここで採る

このレストランは山の急勾配に建っていて随分と張り出したテラスがあり
宙に浮いて山の空間をより感じられるといったような趣向が凝らされている
そこで出てきた食事はここの地区に住んでいる客家人の料理



客家人というのはもともと中国の南部にいる民族で台湾にも一定の数が居る
台湾の各地に居る先住民とはまた違った位置付けだ

台北の地下鉄はこの人達独自の言葉、客家語の案内がちゃんと流れる
だから台北の地下鉄で流れる案内は
北京語、台湾語、客家語、英語
と4つも流れる
一つの駅名を言うだけですごく時間がかかるという事態になっている

最近テレビで見たのだが
これじゃあ効率が悪いじゃないか!意味あるのか!
みたいに国会で叫んでいる議員さんが居た
ちなみに勿論?台湾の国会で交わされる言語は台湾語だ

これは余談だが
代議士さん達は台湾の今の現状を踏まえて
普段は北京語で話していたり台湾語があまり得意でなくても
選挙演説なんかでは台湾語を頑張って使ったりするらしい

方言で親近感を湧かせて票を集める
みたいな感じなのだろうか



レストランには既に注文済みであったみたいで
次から次に料理が出てくる
鶏肉や猪の肉に漢方入りのスープや野菜炒め
いくらなんでも多すぎて食べきれず、、

台湾人は食べきれない料理を供するのが礼儀とされている
食べ切ってしまうとホストはケチっているとみなされてしまう
日本の感覚からすると逆なのでもし日本のノリで台湾人の家庭にもてなされ
当然のように食べ切ってしまうとさらに料理が出てくる事になる
日本人らしくここで頑張って残さず食べてしまうとまた出てくる
ホストは躍起になって作り続け
ゲストは躍起になって食べ続ける
なんていうまさに矛と盾の話になってしまうので注意






再びバスに戻り今回のメインの目的地へ
山を下ってそしてまた上る

程無くして駐車場にバスが滑り込む
見上げればそこには西洋風の建物が建っていて
沢山の人で賑わっていた

ヒヤシンスだろうか
花の名前には兎に角疎いのでわからないけれども
紫の花に囲まれた石段がその洋館に向かって続いている


20100320-12.jpg


石段の左側には広くきちんと刈られた広場が広がっていて
子供達が親達の声を振り切って走り回っている

洋館の目の前は喫茶店のテラスになっていて
ざわざわと賑やかな雰囲気になっている



みんなはまず広場に集まってきっとこれが恒例なのだろう
前回もあった記念撮影をする
カメラが設置されて大の大人達が子供達が走り回る広場の真ん中を占拠して
微動だにしない景色は本当に不気味だと思う
いや滑稽というのが正しいか


20100320-7.jpg



それが終わると自由撮影時間

前回おろおろして時間を無駄にしてしまった経験を踏まえて
すぐにその場を離れて歩き出す




側に咲いている黄色いコスモス?の前で一緒に何かを覗き込んでいる親子を見つける
子供がそうじゃないでしょうに!なんて母親にちょっかい出している
母親はそうなのー?みたいにおどけた声を出している
よくわかんないど何だかもやもや暖かい雰囲気

咄嗟にカメラを向けてシャッターを押す
画像で見てみるとピントが合わなかった
もう一度今度は焦点をじっくりと
少し考えて花に合わせて撮ってみる

チェックして見るとちゃんとピントが合っている


20100320-6.jpg


でも

でも何だか味気無い
すごく雰囲気が台無しな気がしてくる

さっきのピントが合っていなかった方が
僕の頭に描いていたイメージとすごくしっくりきている様な

何でだろう

目の前の景色を正確に捉えているのはピントが合っている方なのに
僕が見た撮ろうと思った現実の景色はピントが合っている方なのに
僕が撮ろうと頭で描いていた景色は最初に撮った方が近いなんて


20100320-5.jpg





広場を出て続く黄色い花の道を進んで行く


20100320-4.jpg


すると突然視界が開ける
見た事あるようなもっこりした背の低い木々が整然と並んでいる
初めて現実に見た茶畑

おお!
と思って立ち止まる
カメラを構えて撮ってみる
でも何だか気に入らない


20100320-8.jpg




そのままちょっと上り坂になって
今度は高い針葉樹が立ち並ぶ所に入っていく

するとその合間にパラソルがいくつも見える
その下にはベンチや机に椅子が所々に置かれていて
みなコーヒーを飲んだり本を読んだり山の景色を眺めたりしている

写真を撮る気がすっかり失せてしまったのか
吸い寄せられるように空いていたテラス席に座り
コーヒーを頼んでいた


20100320-9.jpg


ここがメインだけに写真撮影の時間は沢山取られていて四時間もあった
まだ三十分しか経っていなかったけれども
でも何となくもうここで本読んだり景色を眺めたりしていようと決めてしまった


20100320-10.jpg


ふと思い出して
ずっと前から手紙を書こうと思って書いていなかった事を思い出す
ノートに挟んでおいた数枚のポストカードをテーブルに出し
絵を眺めて相手を想って景色を眺めて
思い付いた様にペンをノートにまず走らせる

いつの間にかおじさんの子供達が僕のテーブルにやってきていた
今日は末っ子に真ん中の子もいる
二人でニンテンドーDSを覗き込みながら
あーでもないこーでもないとゲームに夢中だ

あんまりノートに夢中になるのもなんなので
少し手を休めて山の方を見てみる
あんなに晴れていた空は白い霧に覆われ出していた
山の下から次から次に上って来る白い影は
あっという間に周りを包み込む

景色が見えなくなったり現れたりする度に
子供達がゲームから顔を上げてきゃっきゃ興奮する

僕はそれに同調しながらずっとかわらず景色を眺め続ける


20100320-11.jpg






起こされるといつの間にか三時間くらい経っていた
天気が回復しないので今日は少し早めに帰る事にするそうだ


針葉樹の中を抜け
黄色い花道を抜け
洋館の横を抜け
紫の花に囲まれる石段を降りていく


そこには沢山の生徒さん達が
必死にカメラを構えている

レンズを向けている後ろを振り返ると薄くなった霧の向こう側に太陽が覗いている

今更太陽が出てくるなんて
勘弁してくれよ

何てみんなつぶやきながら
一生懸命にシャッターを切っている





何となく僕もレンズを向ける
写った太陽は霧に光を反射されて輪郭がはっきりしない



20100320-13.jpg






その後すぐに太陽は山の稜線に沈んでしまった







音楽ってやっぱりすごい

果たしてこの感動を正確に最初から書く事が出来るだろうか
もう僕は感動を感じてしまったのだからこれを感じる前の事を書くのは大変だ

でもこの日の事は書いておかなくてはいけない
僕の中のまた新しい人生での初体験なのだから



20100319-2.jpg




今日僕はある縁である所にやってきた


時間ぎりぎり
少し息が上がりながら店員と遣り取りして
もう何でもいいから兎に角チケットを
そうやってお金を払ってエレベーターに乗り
そして目的の場所に飛び込む

照明はもう殆ど落とされていて
ステージの所だけ浮かび上がるようになっている

ドアを入ってすぐの所でピチッとしたスーツを着た小柄な青年が話し掛けてきた
まん丸の小さな眼鏡を掛けた少し間の抜けた顔をしている


もうすぐ始まってしまうのでここの席で少しお待ち下さい


早口のささやき声で言われたのでもう一度聞き返す
その時人々のざわめきが急に大きな拍手に取って代わった
ステージを見ると一人の正装した人が舞台袖から歩いて中央までやってくるのが見える

眼鏡の青年にわかりましたと言ってホールの一番後ろの壁にもたれかかる
すぐ近くの席に座るのはやめた
手前の席はもう埋まっていて人の前を通らなければいけないから
何となくその方がいいと思ったし心を早く集中したかった

青年も何か言いたそうだったが
後からやってきた人にまた同じ事を繰り返している間に
もう気にしなくなっていた




ステージ上に現れた正装の人は丁寧にお辞儀をすると
真ん中にある壇上に上がりまたもう一度礼をして観客に背を向け両手を振り上げた
彼の目の前には金と黒と茶に彩られている
彼の腕の動きに合わせて一斉に揃った動きをして一度止まる

さっきまで音で包まれていた空間は全く静かで観客の存在感は一気に消え失せた
遠くに見えていたステージとの距離が縮まったように感じる




振り上げた腕は中空に暫く留まっていたように感じた




決心をつけたみたいに腕がゆっくりと振り下ろされると
それを合図に今まで何処かに隠れていた音がじっくりと様子を伺うみたいに出てきた

その内に色々な音達があっちからこっちから顔を覗かせてくる
出てきた音達が手を繋いだり喧嘩をしたりしながらぶつかって広いホールを走り回る
一度空間に空いた穴はどんどんと大きくなって
そこから溢れてくる音の量は膨らんでいってぶつかりながら勢いを増してくる



気が付くと心臓が早く打っている
さっき早足で駆け込んできたからだろうか
そんな筈は無いだろう
時計を見ると既にここにやってきてから30分は経っている

身体を動かして心臓が早く打っていたら
もっと頭の中は熱くてぼーっとしてそれでいてぐちゃぐちゃな感じだろうけれども
今は何だかすっとんでいて頭は涼しく風通しがいい
音が頭の中で一度反響して通り過ぎていく

壁に寄り掛かっているのがダメな気がして身体を起こすけれども
緊張してる時みたいに足ががくがくしてまた寄り掛かる





あっという間に時間が過ぎた
あとでプログラムを買って見るとここまでで一時間あったらしい
とても一時間も経っていたとは思えないくらいに没頭していた





大きな拍手と共に観客席の照明がつけられ動き出す観客が久し振りに現れる
すぐ後ろにあったドアが開けられて
どうやら僕よりも遅くに来て外で待っていた観客達がホールに入ってきた
僕もその流れに乗って前に向かう

当日券は既に残りが少なく贅沢をするつもりは無かったのだが
二番目に高いチケットを僕は買っていた
でもこの機会を逃したらダメだっていう何だか強迫観念みたいな気持ちがあって
値段などお構い無しで急いで購入した

お陰で僕の席は想像以上にステージに近い10列目
さっきまでとは全く違って上から全体を見渡す所から
一気に局所的に下から見上げる具合になる
それだけでまた心臓が高鳴る





舞台袖からぞろぞろと人が大事そうに楽器を抱えてやってくる
今度は細かい動きや表情まで見える

きちっと唇を横に閉めている人や
自分の楽器をじっと見つめている人や
ただやってるく時間を待って中空を眺めている人や


ぼぅっと人を眺めていたら大きな拍手が巻き起こる
さっきの正装の人と思われる人とそして背の高い金髪の男が
一緒に舞台袖から出てきた所だった

新しく出てきた彼は真ん中の壇上の隣で深くお辞儀をすると
壇上の隣にセットされていた沢山の楽器の中央へと入って行く

気が付かなかったがそこには大きな木琴や
ドラムにシンバルにコンガが置いてある
どうやら今日のメインゲストみたいだ


僕は今日のプログラムの中身を殆ど何も聞いてきていなかった
だから誰がやってくるのか
どんな演奏が聴けるのか
どれくらいの時間なのか
何もわからなかった
それでもいいと思っていたし
何より聞いても判らなかった訳だし

でもそれでも今日は来て良かったと既に思っている
さっきまでの体験もそうだけれども
どうやら今日ゲストがやってきていて
その彼は打楽器を演奏するのだから

僕は楽器の中で打楽器の音が一番好きだから
パンフレットを見てみると『鼓動 心動』と書いてある
うーん、最高だ


20100319-1.jpg




僕はどうしても感情が昂ぶってくると身体を動かしたくなってくる
きっと感情を表す時って人間はそのエネルギーを身体に仕舞っておけないんだと思う
だからそれを発散させる
そうやって身体を動かして人と手を叩き合って
そこらへんの箱とかテーブルとか叩き出す
そうすると音が出る
僕の感情が表に出て具体的な形を持つ
そうしたら楽しくてまた叩く
それがリズムを持ってくると身体は今度はそれに合わせて踊りだす
気が付けばみんなもそれぞれの感情を音に乗せる
それぞれの人間の感情が音という形を取って直にそこで出会う
大きな感情の渦が出来る

何だか打楽器が一番人間にとって自然な楽器であって
それが一番自然な音だと思っている

からすごく好きなのだ


何処かのグループでドラム缶や空き缶とか
日常に溢れているモノを使って音を出して演奏するパフォーマーが居た
今じゃあ何処にでもいるみたいだが
昔子供の時にテレビでチラッと見たその映像が忘れられていない
だから何処の誰がやっているグループかわからない
でも兎に角その映像が今でも離れていない

多分その理由は僕がまだ何も知らない子供だっただけに
打楽器本来の性格にまずは惹かれる事が出来たんだと思う




そんな打楽器のスペシャリストが今すぐ目の前にいる
セットされた楽器はちょうど僕の席の目の前だった




彼は念入りに手をタオルで拭き
いくつもの種類のスティックを取り出して並べ
片手に三本ずつスティックを指して今では壇上に上がった人に視線を向けて頷く

その頃にはまたいつの間にか音はいなくなっていて観客の存在も消えていた
でもすべての集中力が彼に集まっているのがわかる
彼自身もそれを理解していてそしてそれを受けながら
すべての集中力を目の前にある大きな木琴へと注いでいる



木琴の音を聞いたのは一体何年振りだろうか
多分小学校以来だろう



ぽんぽんと気持ちの良い音が一つ一つ生み出されていく
そのスピードはどんどんと速くなっていくそして全体的にはかなり力強い
周りも負けずと激しく音を撒き散らすけれども
マイクが大きくなっているのかそれとも僕の席の位置なのか
兎に角彼の打ち鳴らす木琴やドラムの音は強大だった

突然甲高い金属音が聞こえてくる
懐かしい鉄琴の音だった
叩いている彼は没頭しているのかその音は子供が遊ぶみたいに闇雲に叩いていて
音は強くて耳に突き刺さってくる

何だか初めての経験だからか
久し振りに鉄琴や木琴の音を聞いたからかそれとも僕の位置がやっぱり悪いのか
音が後から後からやってきて周りの弦楽器や管楽器との相性が余り良くないような気がする

でも必死に叩きまくる彼の姿と
たまに笑顔になる彼の顔を見て安心する

多分打楽器は独りでやるものじゃないんだな
みんなで叩き合うものなんだ


実際本来の彼の演奏が気になって家に帰った後ネットで調べると
みんなで叩き合っている演奏が沢山出てきた
そして今日実際に聞いたのとはやはり少し印象が違った

僕はこっちの方が断然好きだな
Martin Grubinger







少しの休憩を挟んで一度引けていた人々がステージ上に戻っている
もうさっきの彼は居なくなり楽器も片付けられ
少し寂しいようなでも本来の姿に戻って落ち着きを取り戻しているかのような
そんな余裕があるように感じられる

今日のシメに向かってゆっくりとまた音がやってくる


さっきは打楽器の彼の姿に気を取られていて全く目に入っていなかった
壇上の必死に腕を身体を動かす人の姿に釘付けになる

音は彼の腕の動きに合わせて彼の持つタクトにつられて引き出されてくる
気持ち良く漂ってみたり激しく打ち付けてみたり

音は自由に出るのは当たり前なんだけど
彼の身体が自由自在に動くからこそ
初めて音が自由に飛び出しているように思えてくる

彼の目の前には沢山の楽器がある
実際に僕が聞くのが始めての楽器も沢山ある
でも彼が引き出してくる音は僕の中の沢山の映像を引っ張り出してくる

ピッコロはしっかりと鳥のさえずりの映像を浮かび上がらせる
どうやら何処かの草原を歩いている

そんな映像僕の頭の中にはあっただろうか
どこから引っ張り出されたのだろう
ピッコロの音なんて実際には始めて聞いた筈なのに
これしかないというような景色が現れてくる


先が小刻みに動く壇上のタクト
腕が水平に波を打つようにうっくりとうねっている

突然その腕に高波がやってきて
身体全体で伸びをしたと思うと
周りに飛び跳ねていた音は一気に緊張して立ち止まる

タクトをつまむ手はいつの間にかしっかりと握られていて
二つのここから眺めても明らかに力のこもった拳が
思いっ切り同時に振り下ろされる


立ち止まっていた音は弾け飛んで新しい音が後ろから走りこんでくる
チェロが低い音を強く押し出してきて
バイオリンがキンキンに神経を刺激して
大型の打楽器ティンパニが盛大に鳴り出して
トランペットが高らかに劇的な景色を演出してくる

急に頭の中は優雅な時間が消し飛んで
白い雲がもくもくと空を覆いだして
大きくなると同時に白から灰色にそして真っ暗になっていく
風が吹き始めて青々と生い茂っていた木々は
慌てふためいたようにざわめきだす

映像を演出するのではない音が映像を引っ張り出してくる
一つ一つそれぞれの音にそれぞれの画が
重なる事によって映写機が回って映画を頭の中で流す




視線は彼の持つタクトに指先にしっかりと固定されているけれども
頭の中には全く違った映像が映し出されている




一つの事を思い出す

子供の頃すごく好きだったディズニーの映画
ミッキーが魔法使いの弟子になる話
主の留守の間に勝手に魔法の杖を使ってしまうお話
本当に好きで何度も見た記憶がある

あれは確かウォルトディズニーが
クラシック音楽を映像に表現したかったのだとどっかで読んだ気がする

今でもすぐに思い出せる
ミッキーの振る魔法の杖に合わせて
腕と足の生えたほうきが綺麗に隊列を作って水を組み続ける映像
水が溢れ砕ける波がミッキーの振り上げる腕に合わせて飛び上がり
ミッキーの振り下ろす様に合わせて流れ星が落ちてきて

そんなダイナミックな映像が忘れられない


今ならよりウォルトディズニーのイメージした事がわかる
今壇上で振られているタクトはまさに魔法の杖に思える
そう考えないと納得がいかないような

彼の振るタクトは自在に音を取り出してくる




音を出しているのは楽器だし
それを作り出しているのは奏者なのだけれども
でもすべてを操っているのはやっぱり彼としか思えない



今までどうしても指揮者という存在が僕にはわからなかった
色々な話を聞いて本で読んだりして
偉大な指揮者の言葉を聞いたりもしてきたけれども
どうしても最終的な所で理解が出来ていなかった

結局練習やリハーサルをするのであれば
奏者は暗譜をしているのであれば
奏者独自に上手いや個性が表れるのであれば
どうして指揮者が必要で指揮者の個性が表れるのか

だからどうして指揮者が必要でありそして一番重要な存在なのか




今すごく理解できた気がした




壇上のあの人は今この空間で一番「人間」なんだ
それはこの地球上とでもいえるかもしれない
最も純粋な人間
感情が溢れるままの

喜んだ時に回りに溢れる伸びやかな映像
怒った時に現れる赤く燃え上がるような映像
哀しい時に降り始める暗い雨のような映像
楽しい時に飛び上がるような明るい映像

映像だけではない五感を通して遣り取りされる
すべてが正直に表現されている
表現しているのが指揮者だったんだ

最も純粋な人間
人間らしいとはやはり感情に純粋であるという事なのか
感情に操られている彼こそ今人間の中の人間なんだ

感情がぶつかり合って矛盾を生み
苦悩したり答えを探したり
かと思えばすべてを弾けさせて開き直ったり

そんなのも吐き出す
あそこの壇上に立って魔法のタクトを持つ
そうして純粋な人間になる
それはそれは人によって全く違う演奏になるのは当たり前だ




彼の一挙手一投足に僕の頭は突き動かされている
今言ってみれば僕は彼の身体を借りて感情を感じている
「準人間」といった所か





気が付くと瞼が落ちそうになっている
後ろから軽い寝息が聞こえてくる
音は波が引いたように静かなフルートの音が飛んでいる


もう瞼が閉じてしまいそうだ
さっきまでの興奮はなんだったんだろう
寝てしまうのか?

そんな事を思いながらイメージがあやふやになってくると
またタクトが振り上げられるのが目に入る
そうすると一気に目が開かれる

シンバルが盛大に鳴らされる
身体も起きる
そうして一気にクライマックスを迎える








指揮者は最後に何度もお辞儀をして舞台袖に入っていった

僕はずっと拍手をしていた
彼はやはり少し出し切ったような顔をしていた

前ならわからなかったでも今ならわかる
あれは本当に疲れるだろう
すべてを出し切るのだから



何で一曲がこんなに長いのか
それは感情を表現するから
だから必然的にストーリーが必要で

それに気が付いたら何だか音楽とは本来こうあるべきだと思えてくる
ストーリーや感情が表現できていない音楽なんて

何だかもうクラシック音楽じゃないと満足出来ないような気がしてくる







僕の人生で初めてのオーケストラは
最高のイメージを持って終わった

外に出ると暗い中に建物がライトアップされて浮かび上がっている
すごく幻想的に綺麗に映る


何だか感情の孔みたいなのがあって
そこに詰まっていたモノが飛んでいってしまったような


20100319-3.jpg





これからも聴き続けていきたいと思った
もし頭がぱんぱんになったらいつでも来ようと思った


恥ずかしながら今頃オーケストラの力を知りました


まだ行ってない人がいたら是非行く事をお勧めしたい
もし何かの壁にぶつかっていると感じていたりしたら特に
一気に感情が解放されて楽になると思う

思い付きもひらめきもきっとそこから導きされる気がする


そして最初は独りで行く事をお勧めする

今外に出てきて確かにこの感動に感想を喋りたくてしょうがないけれども
でもきっと隣に誰かいたら変に言葉を繰って感情の解放が台無しになってしまう
別に無理に話さなくてもいいけど
でも人といるとどうしても何か話さなきゃと思うのが常だろうから

独りで楽になって自分の感情に生み出される映像に浸るべきだと思うから


僕も密かな贅沢としてこれからもきっと独りで足を運ぶだろう
とりあえず台湾に居る間はあと何回かは絶対に行く
だって高いといっても日本に比べたら破格に安いから




それにしてもここにやってきたきっかけがtwitterだとは
まさかtwitterにこんな力があるとは全然思っていなかった




<今日のプログラム>

KODALY(1882-1967) : Dance of Galanta

AVNER DORMAN(1975-) : Percussion Concerto Frozen in Time

MAHLER(1860-1911) : Symphony No.1 in D major, Titan







言葉ってやっぱりすごい



新しい刺激は否応無しに人間を興奮させてしまうもので







この間の週末に行ったおじさんの写真講座を開いている学校
ここはセミナー形式になっていて
台北市内の高校の校舎を授業後に利用し他にも沢山の講座を開いている

民族舞踊だったり
油絵だったり
演歌もあったり中には水引なんてのもある

この間の写真セミナーの時のように
仕事に余裕が出てきた4,50代の人達や
もうリタイアしてこれからの新しい人生に向けて
新しいステージを目指している人達が多い

でもそれでもぽつぽつと三十代や二十代の人もいたりして
幅は広かったりする

授業の幅も広ければ受講生の幅も広い


そのセミナーの中には日本語講座というのもいくつかある
実はその中の一つをおじさんが担当しているという


北京語を勉強するとかいいながら
なかなか思うように進まない僕は
ここで飛びついた



日本語講座に行って北京語を聞いてみようじゃないか
日本語を北京語で教えてる場所に行ったら北京語のリスニングになるし
絶対に単語の勉強するはずだから単語力も伸びるし
しかも単語のしっかりとした説明の勉強にもなるし
もしかしたら台湾語だって飛び交うかもしれない
さらにはしっかりとした日本語を知る事になって
それですら新鮮で刺激的じゃないか

メリットしか思い付かない



おじさんに聞いてみると快諾してくれた

という訳で日が暮れてからバスに乗り学校まで出向いてやってきた
本来ならばカードが配られそれを通して行くのだが
僕は今日特別枠で通していただく







もう夜の七時を回っているのに教室はどこも明かりがついている

中を通って行くと何と制服姿の女子学生が沢山いる
あっちの教室にもこっちの教室にも

まさか時間を間違えたのか
でも7時を回ってるし外はしっかり暗い
場所を間違えたのかもしれない
それとも階を間違えたか?

階段を登ったり降りたりを繰り返し
でも確かにさっき二階の奥だって言われたしなぁ
と思ってよくよく教室の中を廊下から覗いて見る

絶対に怪しまれるけれども
それでも少しでもマシなように斜め後ろから
だって中にいるのは女子高生
変な事になったら大変だ

細心の注意を払って覗く




教室の中にある机の数には足りない十数人の女子高生が
それぞれ頭しかないマネキンの髪の毛をいじって何かしている

美容師養成講座?

隣の教室も覗いてみると今度はきちんと生徒たちは座っていて
教壇には先生らしき人が何か喋っているお馴染みの光景
でも黒板に書かれているのはアルファベット

英語講座?





どうやらこの高校の学生も講座に積極的に参加しているらしい
確かにここなら使い勝手もわかっている馴染みの場所だし
変に何処かの塾に行くよりも講座の幅もあっていいかもしない
沢山の年代の人に出会えるし

確か前に日本の世田谷区が同じような事をしようとして
少し揉めていた様な気もするな
それはあくまで学校内の補講の延長みたいな感じだった気がするが




今から行く日本語講座にももしかしたら積極的な女子高生がいるかもしれない
そんな不純な期待がむくむく

まさかまさか
なんて気持ちが昂ぶり過ぎないように否定しながら
今度はどんどん廊下を歩いて行く




少しくすんだ白い壁に良く響く廊下
ドアを通り過ぎると
僕の腰の高さから天井まである、中を良く見渡せる窓が並び
中には白いブラウスを着た沢山の女子高生がきちんと並んで一つの方を向き
その視点の先には向き合っているスーツを着た人が
その後ろには緑色の大きな黒板が教室で一番の存在感を示している
歩いていくとすべての景色は次のドアの影に隠れて見えなくなる
その景色が繰り返される学校の中

右を見れば大きな空間が広がっていて
暗く沈んだ色の中に緑色とオレンジ色が地面に描かれ
白色の陸上トラックのラインが際立って見える




いくつかの教室を通り過ぎるとおじさんが教壇に立っているのが見えた
黒板には日本語が書かれている

ちょっと遅刻してしまった
遠慮がちに教室に入る

すぐに周りを見渡す
期待しないようにして結局意識する事になっていた訳だが
そこには期待しないようにしていた白いブラウスは一つも無かった

まあ目的はそんな所には無い
俺は北京語を勉強しに来たのだ

そうやってさっきまでの自分を軽蔑するが
そんな自分は小さなメモ帳くらいしか持って来ていないし
鞄の中には日本語の本が入っている
何よりここは日本語講座だ




席に座るとおじさんが教科書を差し出した
教壇まで取りに行くとおじさんが生徒に向かって僕を紹介した
それから僕にみんなの前で自己紹介をするように促される

教室には15人程の生徒が
年齢としては大体40代から50代の人が大半
中には30代の人もいるみたいだ

日本語でするべきか北京語でするべきか台湾語でするべきか
いきなり言われてしまったので混乱して
ついつい日本語で言ってしまった

折角ここに北京語を勉強しにきたのに
でもみんなは日本語を勉強しにきているのだから
きっと彼等に取っては僕はネイティブな訳で
それが僕がここの場におけるメリットにもなるのだから

と正当化する





席に座って渡された教科書にプリントを眺める

教科書をまずぱらぱら眺めると当たり前だけど日本語が一杯
期待していた日本語と北京語の単語を併記するページを見つける
ただ見た事の無い赤い線が日本語の上に書いてある

ただの真っ直ぐな線の所もあるし
別の単語だと線の先が少し折れてL字になっているのもある

例えば「あたま」だったら
「たま」の上に赤い線が描かれていて「ま」の後で赤い線が折れている
「からだ」なら「らだ」の上に赤い線が描かれていて線は折れていない


20100314-3.jpg


どうやら発音のアクセントみたいだ
まさか発音のアクセントの表記方法なんて日本語に無いと思っていたから
いや正確には考えた事もなかっただけで確かにあってもおかしくない

だって中華圏でも英語圏でも
僕達がアクセントが難しいと思うという事は
彼等が日本語に対して思う落差と同じだけの筈だから


それにしても日本語のアクセントが
ただの真っ直ぐの赤い線だったり
最後に申し訳なさそうにちょろっと下に折れてるのだけだなんて
すごく貧相に見えて何だか悲しくなってくる

中国語の四声や英語のチェックマークみたいなものとは違って
表記上でも何だか躍動感が無い
まあそれが悪いっていう訳ではないのだが

後でおじさんに聞いてみたのだが
やはり生徒のみんなはアクセントが強すぎて
それをならすのに大変だという




次にプリントを見てみると
意識的にひらがな表記が多くなっている文章が並んでいる
おじさんの子供の小学校の本をコピーしたものらしい
イソップ物語が書かれている


20100314-2.jpg


授業は今このプリントを使って進められている
それぞれの単語や文章の言い回しについておじさんが説明し
たまに黒板に書かれる

黒板に書かれているのを見ていくと
どうやら今日のテーマは形容詞の活用みたいだ

これも後に聞いた事なのだが
講座の中でここのポイントが習ってきて一番最初の難関らしく
ここで諦めてしまう人が多いらしい




知っている人もいるとは思うが
中国語には明確な過去の活用が無い
というか言葉が変化するという事が基本的に無い
全部漢字なのだからしょうがない気もするが

例えば「おいしい」という形容詞
過去の出来事の時はこの形容詞は「おいしかった」となる
(厳密に形容詞に過去形があるのかどうか疑問だがこれは一体どういう形なのだろう)
逆にまだ達成されていない出来事に対してなら「おいしそう」になる
(なんだかここで使われるのが一番形容詞っぽく感じる)
さらに否定となると「おいしくない」となる

同じように「強い」でも
過去なら「強かった」
見た目(北京語だったので結局何形というのかわからない)なら「強そう」
否定になれば「強くない」



北京語だと過去なら完了を表す「了」を最後につけていればそれでいいし
なにより「おいしかった」などという表現は無い
「これはおいしい?」と聞かれれば「ハォツー!」で
「あれはおいしかった?」と聞かれればやっぱり「ハォツー!」なのだ

さらに見た目の「おいしそう」の場合なら本当に「見た目おいしそう」という事になる
厳密に言えば「見た目おいしい」となるのか

否定なら否定語を作る「不」を前につけるだけ
日本語で書いてみれば「不おいしい」となる


すごく簡単でシンプルなルールにのっとっている訳だが
お陰で日本語を覚える時に大変なのだ




今日の授業はここにポイントが置かれていた
黒板に単語が書かれて
じゃあこの単語は否定になったら何でしょう?
とかこの単語は今現在の話だったら?
と質問して生徒があれこれ考えるという感じ

黒板には「い」に×がしてあって→の先に「+かった」と書いてある
みんな一生懸命頭の中で形容詞の最後の「い」をとって「かった」を足し
それを恐る恐る口に出して言っているのだった




これくらいならまぁ感覚でわかるしな
なんてまだ余裕を持って授業を眺めていたのだが
そんな態度を改めさせる例文に出会う




「悪い」をやっている時に例文として
「状況は悪い」が出てきた
それまで僕は授業の遣り取りを端から眺めていて
うんうん、そうそう
なんて偉そうに眺めていた
「状況は悪い」にも何処にも間違いなんてない
というか何処にも違和感が無く聞き流していた

そんな時に
「『は』の所は『が』じゃダメなんですか?」
という質問が飛んだ
別に「は」で大して何も感じていなかった僕は咄嗟に
「それはダメでしょう」みたいに思ってしまった

先生であるおじさんはちょっと止まって考えるふうをして
「確かにそれでもいいんだけど、この場合は、、」
みたいに話し出した

いや!嘘でしょう
と思ってよく考えてみるが
あれ?確かに「状況が悪い」でも大丈夫じゃん

「状況が悪い」「状況は悪い」「状況が悪い」「状況は悪い」、、、
繰り返し繰り返し頭の中で反復して違いを探す
確かに二つとも成立して何処かに違いが存在するのだが、、

その間にあじさんの説明が続いてしまっていて
何を喋っていたのかよく聞こえなかった
でもおじさんが黒板に書いた事が目に入ると
深い深いループに入ってしまいそうだった頭に光が差した

そこには「状況」と「悪い」の間に「は」と「が」が並列して書かれ
「は」から矢印が前の「状況」という所へ向かって書かれ
「が」からは矢印が後ろの「悪い」という所へ向かって書かれていた

次の瞬間プリントの裏にその文章をメモってしまった
まさかここにきて日本語の文章をメモする事になるとは

確かに冷静に考えればそうだ
助詞もそういう働きだ
ただいつも適当に使っているので漠然としか捉えられていないものだから
そんなに断定的に書かれるとどきっとしてしまう

「が」の場合、直前の言葉に重点が置かれている
今現在の「状況」に対して悪い
「は」の場合、直後の言葉に重点が置かれている
もう状況については話題になっていて
既にその話の中でこの状況が「悪い」となる

でも確かにそうだ
他の例文を考えてみる
「天気が悪い」「天気は悪い」
「足が速い」「足は速い」

どれも「悪い状況」「悪い天気」「速い足」と言う事も出来るが
わざわざ逆にして助詞を付け加えるのは
そのどちらかに重点を起きたいという事で









質問をした生徒をついつい見てしまう
すごい、すごいよあなた
そしておじさんも

冷静にこの言語というモノに対して向き合っている
彼等は日本語を「学習」しているのだから当たり前だのだが
偉そうだがすごく感心してしまった


そして自分は、、、
「は」で違和感が無かったから「が」は有り得ないだろうなんて思っていた
でも言語というのはそういうモノでは無い
ある事に対して答えは必ず一つ、という訳ではない
だから表現というモノが可能なんだ

言葉というのを人類が使い始めてから
長い年月を経て今までやってきてなお使い続けているというのはその柔軟性にある訳だ
だって遠い昔の人達が造ったシステムなのに
その当時には考えもしなかった沢山の出来事が今現在には起きているけれども
それでもこの言語システムは機能しているのだ

僕の中では言葉を喋るなんて当たり前だという無意識の想いがあった
でも今僕達人類が言語を使用しているという事実は
本当は凄い事なのかもしれない



僕の頭はいつのまにか数学的頭に偏っていたみたいだ
それを少し恥じる
そしてやっぱりこの日本語講座にきて良かったと思う


20100314-1.jpg





ここには書ききれない沢山の発見があった

その後にやった動詞の活用だって
日本語の動詞には大きく分けて三種類の動詞が存在しているだとか
台湾人には「寄り道」の概念がなかなか理解出来ないだとか
英語のcomeの概念が何で日本人にわかりにくいだとか

思い当たる所が沢山あった






帰りのバスでも頭はカッカしたままだった
すごく元気一杯だった


これは北京語どころの騒ぎではない





だから今度会った時に
全然北京語出来るようになってないじゃんかよ
何て言わないでください

その分きっと日本語が出来るようになっています


20100314-4.jpg





main_line
main_line
Profile
    ふらふら何処かへ酒飲んで本読んで人と話してぼーっとして海に入って空飛んでバスに乗ってまたふらふら何処かへ、、何処へ?うーん。。とりあえずの試行錯誤継続鍛錬。

    2009年5月、日本を後にし、ゆっくりだけどそのうち加速予定。

    未熟ながらもなんとか自分の言葉で世界を書き起こしたい。ただいまその道中。


    name : LAN
    now : Quito ( Ecuador )
    latest update : 20120816
LAN Twitter
    旅の日記はなかなかリアルタイム更新とはいかないが、twitterならなんとか、、

     → follow me on Twitter

関連日記

共に旅立った同志達のブログ

sallan

I.G.
http://salig.blog37.fc2.com/

SHOGO
http://salshogo.blog37.fc2.com/


共に旅をするパートナーのブログ
ばーちーの、ちるり旅
http://jstyle623.blog129.fc2.com/

最新日記

 → check my all posts

カテゴリ
本 (0)
UAE (4)
カレンダー
02 | 2010/03 | 04
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31 - - -
最新コメント
SAL
検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。