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告知 2


相変わらず暑い暑い日々が続く今日この頃
日本も太陽がどんどんと存在感を増してきたことでしょう


さて、ここで報告があります


報告というものの程でもないかもしれません
かなり私事ですから


ただ僕たちの中では大事件であり
しかもこのブログにも大きな影響があるので
ここで報告させていただく事にしました























ええぇ、、、
























パソコンが盗まれました














まさか本当にこんなことが、、、








というよくある感想です


とりあえず鍵が無くなってだらしなく開いているドアの前で
呆然と二人で立ち尽くしました








パソコンが無いって、、、







勿論パソコン自体高価な物でありイタイ事この上ないのですが

あそこには写真があって記録があって情報があって、、、





思い出がつまってるんだこのやろう!!




なんでパソコンとってっちゃうんだぁ!!


せっかくインドのまとめやら出発の時のブログも書いていたのに、、
(そんな事はこの際小さな事かもしれないが
 日常を過ごしていて沢山の小さな所に
 パソコンに依存していた事実があってその度々怒って凹んでいます)



しかもこれからちょうど愛二と少し分かれて一人旅という時に、、、







という事で、ブログはここで終了せざるを得ません、、、


という訳にはいかない!


僕たちはめげずにパソコンを購入する事にしています
ただそれは先になります






まずこれからの進路についてお話しすると

15日早朝にデリーから二人同時に出発します

愛二の行き先はトルコのイスタンブール
そしてさらに北へと求めるものに向かって進んでいきます

僕は少し道を反れて以前から興味のあったアラビア半島に上陸します
まずはアラブの優等生オマーンから



本当ならこれからまた違った世界観をここで紹介できるので
僕自身もすごく楽しみにしていたのですが、、、



今の予定では約一ヵ月半後の8月24日に愛二とトルコのイスタンブールで再会する事になっています
その時に僕は多分次のパソコンを手に入れる事になるでしょう

新しくパソコンが購入できたあかつきには
怒涛の勢いで書いていくのでもしよろしければその時までお待ちいただけないでしょうか



ああぁ、、、

折角遅れ気味だったブログも追いついたというのに、、







それではみなさん、その時まで







インド、デリーから


LAN





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『沐浴』後



無事に『沐浴』らしきものを済ませたその日の夕暮れ時
僕はまた一人でガンジス河のほとりへ行った


いつもよりも涼しい風が吹いていて気持ちがいい
もう暗くなって河沿いの石段に当たるオレンジ色の街灯の光だけ
そこにガンジス河が流れているのはたまに通る船や灯篭の火でわかる


僕は石段に腰を下ろして何も見えない先を見ていた


暗闇とは何も無いとは違う
そこにはやはり見る対象はある





20100701-4.jpg









前日に僕達がガンジス河に入ると言った時
宿のオーナーが僕達に言った事を思い出す


「ガンジス河に入るのはいい事だ、是非するべきだ
 入る時はヒンドゥーの神を想わなくてもいい
 君達の信じる『神』を想って入りなさい
 そうすればきっといいだろう」


『神』と書いたが実際には彼は『ゴッド』という単語は使わずに
『信じるモノ』とだけ言った



間違い無い
信仰とはそういうものだろう



ガンジス河はインド人の沢山の想いが詰まった場所である
それは傍からみればただの河かもしれないが
事実ガンジス河はインドの歴史に大きく寄与している

そのインドにとってのガンジス河と同じ様なモノは
インドと言わず世界中に、勿論日本にだって存在する

実際には物理的な働きしかないかもしれない
河は生活にはなくてはならない
水がある事によって人々の生活が豊かになる

世界を見渡せば古来早くから発展した都市は
殆ど洩れなく海沿いか河沿いである

そんな実際的な理由から人々は豊かになり
文明を営んで都市的生活を享受する
その感謝に畏怖の念から河に対しての信仰が出ても不思議では無い


ただ実際的な所から信仰が生まれたとしても
既に人類史は長く続いていて信仰から歴史が作られるのも数多である
それはエルサレムの例を出すまでもなく世界中にある


だからこのガンジス河信仰がただインドの人の心にだけ響く
と言って単純に傍から眺めるのはオカシイであろう
どちらかといえばオーナーの言葉が正しいと僕は思う

どんな対象でもどんな人種であっても
想うというのが人間でありそこに大差は無い

ちょうど皮膚の色や髪の質に言葉は違えど
結局人間は人類と言う生物学的には同じ科目に属しているのだから


ガンジス河であろうとヒンドゥー教であろうと
そこには人々を時には戒め時には鼓舞した歴史があって力が宿っているのだから
信仰の対象がなんであれ信仰があるのであれば
それは思想や様式の錯誤があろうとも大した問題では無い気がする

それが本当の信仰では無いだろうか












僕は黒いガンジス河に向かって手を合わせる


朝ガンジス河に入った時はその行為自体に注意をとられて考える余裕が無かった
それもしょうがない話である

ただ僕は一度『沐浴』をしたのであるから
一つ祈りを捧げてもいいのではないだろうか
そんな権利を主張させて欲しい



僕には信ずる特定の神はいない



僕には僕の良く知っている人達しかいない



すべての僕の信頼すべき家族が常に安らいだ心でありますように
すべての僕の尊敬すべき師が常に新しく道を開きますように
すべての僕の敬愛すべき友が常に刺激的に前進しますように




僕に繋がるすべての関係

相手とその糸に一層の強さを持ちますように









祈りすぎだろうか


構うまい、想いが大事だ







ガンジス河で天国への階段を昇ります



バナラシといえば
それはまず間違い無くガンジス河である

バナラシの歴史に町の形成に至るまで
すべてがこの河によるのだからそう言い切っていいだろう

信仰、生活、産業

ほぼすべてがガンジス河と関わっている


なので訪れた人々がガンジス河に行くのは必然である
そこで行われるガートのセレモニーに火葬場でインド人の生死を目撃するのも
やはり必然である

そしてもう一つ僕達に提示されるバナラシでの必然



ガンジス河で身を清める『沐浴』を観る事によって彼等の信仰を感じる事

ヒンドゥーの教えでは
ガンジス河で一度身を清める事によって天国への階段を一段登る事になっている
のだからみな生前にせっせと沐浴をする訳だ



河辺の石段に腰掛けて眺めていると沢山の人が河に入っている
その様子はなにもそんな教義だけではなくて
普通に生活用水として利用しているような人が大半だ

石鹸で身体中を泡立てているにいちゃんもいるし
食器を洗っているおばあちゃんもいるし
歯磨きをしている女性二人組みもいるし
溜まった魚の死骸を河の流れに戻しているおじいちゃんもいるし
勿論祈りを捧げている人も中にはいる

そんなのが河辺に行けばすぐに観られる



ただそれで僕達の必然が消化される事は無い

観光にやってきたのであればそれで済むかもしれないが
少しやんちゃな僕達の旅は次の選択肢を必然的に提示してくる




俺らも『沐浴』をするか否か




まだまだやんちゃな僕達はまあ当然『する』方に傾く

折角ここまできてやらない訳にはいかないでしょ!
郷に入っては郷に従え
それをせずにバナラシは語れん!

となる訳である







沐浴には朝が良いと聞いていたので
徹夜をして朝日を見るついでに向かう事にした
ガンジス河に昇る朝日はなかなか綺麗だと宿の人が言っていたのだ

5時に向かうも既に回りは明るかった
といっても空は砂埃かスモッグがかっていて視界がいいとは言えない
もう太陽は昇っているかもしれないし昇っていないかもしれない

僕達ははっきりいって殆どどうでもよくなっていた
申し訳ないのだが気持ちが沐浴に完全に支配されている




何故なら



やはり噂通りガンジス河は汚い




初めてガンジス河を見た時の感想は
前に飛び込んだアユタヤの河の方が断然汚い、だった
ガンジス河に対してのイメージが強かったのもあるだろうが
その時はむしろ綺麗に見えた

イメージとは妄想であり現実を前にして霧消するものだ
それがこの旅での重要な意味でもあるのだがそれはさておいて
もともと強烈に汚いと思っていたガンジス河の妄想は
初見で霧消してそれから10日程たった

イメージが無くなりというか新しく『意外に綺麗』というイメージが
出来上がってしまった頭

その上で実際に飛び込むというのを目前にして改めてガンジス河を見れば
やはりそれはたった10日と言っても妄想とは膨らむもので
今度は反して強烈に汚く感じる




二人でまだ暑くならない河辺に立ってガンジス河を眺める
河ではバシャバシャとやる子供や大人達


20100701-3.jpg


事前に順番が決められていて僕が先に『する』事になっていた



さて、



一体どのタイミングで行くべきなのか、、



殆ど立ち尽くすといった感じで河を眺める
やるならいつ入っても一緒なのだが
こういう時どうしても心の準備がいるのは何故だろうか

僕達はまずチャイを飲む事にした

河辺にはいくつか即席の売店がやっていて
そこでビスケットやらチャイが買える


20100701-1.jpg


そのチャイを啜りながら河を眺めるのは
とても落ち着いていてすごく和やかな時間が過ごせていいのだが
昨日宿の人に言われた衝撃の言葉が今は頭を過ぎる


「宿の水もどこの水もガンジス河の水だ」


まあガンジス河のすぐ側なのだからそれは何となく感じてはいたけれども
それを実際に笑いながら言われるといやまたずしんとくる
宿のオーナーはさらに続けて


「河沿いでチャイを飲んだか?あれはまさにガンジスの水だ」


確かに眺めているとチャイ屋のお父さんが娘に水を汲みに行かせているのは
すぐに近くのガンジス河である


今ガンジス河に飛び込むのを少し躊躇して心の準備をしている
そんな時は出来る限りガンジス河の妄想から離れたいものだが
心を落ち着かせる為に手にしたチャイはガンジス河を連想させてくる訳だ
いや連想ではない、まさにガンジス河だ


やはりこの町に居ればガンジス河から逃れる事は出来ないのだ




どうしようも無いと感じた後の諦め
これは勇気とは違うか?

思考された想いの後、無事に行動に結びつくのが勇気であれば
諦めも言ってみれば勇気とそう変わらないのではないか

是非勇気ある行動として受け止めて欲しい




僕はチャイを飲み終わると
別段勢い良くも無く悪くも無く立ち上がって
そのまま止まる事無く大きめの石がゴロゴロした河辺に向かう

周りにはやはり石鹸を泡立たせている人がいる
バシャバシャとバタフタイのように手を何度も回して顔を水につけている人もいる
そんな中僕は服を脱いで一番縁の石に腰掛けた

アユタヤの茶色い河とは違って緑色をしているが
中を覗き込めば河底は当然見えない
河上に化学工場があって垂れ流しにしているという話が頭を過ぎる

ただここまで来るともう止める要素は無い
何故なら諦めからきている行動は諦めた瞬間から頭はすでに思考を辞めている
殆ど惰性で身体が動いているだけだ

これが言ってみれば勇気とは違う所かもしれない
勇気から飛び出した行動は半分トランス状態で頭が正常とは違ってアツイ状態であるが
諦めからきている行動は逆にサメタ状態であると言えるかもしれない


水を掬ってみると確かに液体の感触が
特に温くも冷たくも無い
ちょうどいいといえばちょうどいい

少し身体にかけてからそのまま






入った






何も特別な事は無かった

足から順にゆっくり入った
想像以上に河底が浅くて拍子抜けしたが
ゆっくりと足を使って前に進んでいった

河底の石は想像通りぬめっとしていた
まあでも想像の範囲内といった所だろう



あんまり進んでもそんなに深くならないので
ある程度進んでから肩まで浸かった

視線はぐっと水面近くに落ちて
今までずっと見てきた景色が全然違って見えた

上から見下ろしていただけのガンジス河に沐浴をする人達が
本当に近く見えた

これは物理的な意味でもそして精神的な意味でも

さっき特別な事は何も無かったと書いたが
一つそういう親近感というものは沸いたかもしれない
しかもそれはガンジス河に『入った』という単純な行為だった割りには
すごく強烈に想う所だった



河辺から対岸に視線を移すと朝日が姿を現していた
少し大きくオレンジ色に見える太陽は
河に写って僕のすぐ手前の所までその色で染めていた

河の水面からそれを眺めるのは
確かに少し綺麗であるかもしれない






20100701-2.jpg






愛二も無事に『身を清め』
濡れたまま宿に戻って念入りにシャワーをした

このシャワーの水も結局ガンジス河の水ならば
念入りに洗ったとしてもしょうがないのだが



その後二人ともちょっとした不調が現れたのは言うまでも無い



ガンジス河で沐浴をすると天国への階段を一段昇る事になる
まさか寿命が縮まって天国へ近づくという事ではないだろう

と願うばかり



死を司る場所



シヴァ神の町バナラシ
生死を受け止めるガンジス河









河沿いにはいくつものガートと言われる寺院が並んでいる
夕方になるとセレモニーというお祈りが行われる

日も暮れると何処からとも無くお経の様なものがスピーカーから街中に響き渡る

僕達はそのセレモニーをメインガートと呼ばれる
ここらへんで一番大きなガートに見に行く事にした



歩いていると途中に人だかりが出来ている所があった

視線を河に向けると丸い壇上の上にきちんと格子状に組まれた木々があった
壇はオレンジ色の花飾りで囲まれている
そのすぐ下に竹で出来たタンカに
キラキラ派手な布に包まれた『人』が置かれていた


まさに今焼かれようとする時

僕達は壇のすぐ近くにあるベンチに腰掛けた


煌びやかな服に身を包んだ人は地面に姿勢良く置かれている
みなは儀式の進行に追われているのかすぐ側に沢山の人が立って喋り合っているが
その『人』に注目している人は今の所居ない

色んな意味でその『人』が置いてかれているように見えて
いくら華やかな服を纏っているとしても寂しさを感じる


段取りが決まったのかみんなで一斉に服を脱がし始める


真っ白の布一枚に包まれただけの『人』


それが組まれた木々の上に置かれる


さっきまで誰の視界にも入っていなかった彼は
今誰の目にも留まる場所にやってきた
石段に座っている沢山の人もその方を見る

ベンチの隣に座ってきた人に聞いた所によると
この人はバナラシの人でそれなりに顔の知れた有名人らしい

そんな有名人だろう人の身体に顔に
人々が壇上に上がってバターやらギーと呼ばれる油のようなものから
赤い色素やら黒い液体なんかをボトボトかけていく


喪主であろう人が藁の束を持ちながら壇上に上がり
木々の周りをぐるぐる回りだす
すると親戚であろうか数人が同じ様に壇の下でぐるぐる回りだす

喪主は立ち止まるといつの間にか煙が上がっている藁を木々の下に突っ込む
親戚の人が壇から離れると係りの人がやってきて
風を送ったり粉を吹きかけたりして火の世話をする


ものの数分であっという間に火は見上げる程になる


炎は完全に『人』の身体を包み込んでいる


さっきまで動きの無かった一帯が
少しの時間であっという間にダイナミックな空間に変わった

ただこの映像は映画を見るように目に飛び込んでくるだけだ
皮膚に覆い被さる熱さだけが臨場感を与える















メメント・モリ


死を想え












ここに居るとそんな深い洞察を与える余裕をくれない

ガンジス河の最初の印象もそうだったが
何か不思議と静かな心で眺めている
というか心は寝ているのかもしれない

神との行為の間に人間の心は顔を出す必要が無いのだろうか


ここに居ると兎に角暑い
炎の熱さ


そして燃え続ける映像だけが目に飛び込んでくる







死とは






この熱さの事なのだろうか

ここに居るとそれしか教えてくれない
いやもしかしたらもともとシンプルな答えしかないのかもしれない

それは

命のアツさか死のツメたさへ向かう裏返しか













メインガートに行く前に辺りは暗くなってしまった

僕達は中心街で食事を採り
また同じ河沿いの道を少しの街灯を頼りに帰る

すると向こうからスピーカー越しに何かお経が聞こえてくる
簡単な河に向けたステージがライトアップされた場所

前にベンチがあったのでそこに腰をかける


20100629-2.jpg


マイクの前で全身を白い粉で塗りたくった髭ぼうぼうの叔父さん
何とかババというお偉いさんみたいでお経らしき唄を唱えている


20100629-3.jpg


二つの台があってそこに青年が二人座っている
線香などを持って中空に回している
ライトに照らされて煙の動きが良く見える

どうやらこれがセレモニーらしい


二人の青年が立ち上がって
今度は煙の出ている金色の缶を回している
反対の手では鈴を鳴らし続けている
腰にはインドのトリコロールが縫い付けられた腰巻をしている

彼等は一生懸命手足を動かしている




背景は真っ暗である




でもそこには存在感を持った何かがいる




ように見える








儀式があるからこそその先に初めて何かが見えるのか

それとももともと見える筈の強烈な何かを儀式によって和らげているのか








鈴の音は良く響いた




20100629-4.jpg




バナラシでの何でも無い一日



朝早く起きようとするのだが
僕達の部屋は窓が無いので真っ暗でなかなか起きれない
気が付くと10時とか

すでにその時にはかんかんの日は頭上高くに昇ってしまっていて
外は灼熱の砂埃に舞っている

日差しが入ってこないといっても部屋の中が涼しいという事も無い
窓が無いからまず篭っているしうちの部屋独特の嫌なにおいが充満していて
寝起きは良いとは言い難い

何度も目を覚ましては寝返りを打ってを繰り返して
さすがに暑くて身体を起こすけれどもそこからすぐには動けない
上体を起こしたまま10分はそのままである

何とか起き上がって活動を始めると
そこでお腹がぐーとなってしまう



外に出て宿の近くに見つけた安食堂へ向かう
安食堂といってもあるのはタリーだけ

タリーとはネパールで言うダルバートの事で
豆スープにライスかチャパティにカレーという
南アジアのご飯と味噌汁

だからそれぞれの地域で趣向が違う

バナラシのタリーは
カレースープに近いダル(豆スープ)にライスとチャパティに芋のカレー
そこに生玉葱が添えられているのが基本だ

今まで通ってきた地域のタリーはライス『か』チャパティを選ぶ感じだったが
バナラシはなんとライス『と』チャパティが来る
少し得した気分だ


あと


生玉葱なんか食べれるか!なんて思われるかもしれないが
意外にこれが食べれる
というかむしろ今となっては無くてはならない
それくらい美味しい

日本の玉葱に比べてだいぶ小振りで
片手でオーケーサインを作る時の丸くらいの大きさ

きっと水抜きなんてやっていないだろうに辛くない
これを辛めのカレーの合間に食べるとむしろ甘く感じて美味しいのだ、本当に
スイカに塩というのと同じ効果だろうか

もし日本に帰った時にインド料理屋さんに行く機会があって
タリーを頼んだ時に玉葱が出てこなかったら間違い無く要求する



「ここのインド料理人はインドの心を忘れてしまった、、」

と嘆くかもしれない

それくらい大好物になってしまった
このインドの玉葱が



僕達が安食堂に入って行くと
もう常連と認めたのかタリーしかメニューが無いから人が入ったら兎に角そうするのか
男が僕達をちらっと見るだけでオーダーを聞きもしないで作り出す


20100627-1.jpg


あっという間にタリーは僕達の前に現れる

当然スプーンやフォーク等という便利な物は出てこない
僕達も聞きはしない
右手を使って食べる


なんで手なんかで食べるんだろう、理解が出来ない
これが日本人の大体の思いだろうが
多分に洩れず僕もそう思っていた

それと相まって

「何であんなに起用に食べれるんだろう」

という想いもあった


『あった』という過去形で書いたというのは
既に僕達はそれを克服した事をまさに表している

コルカタでサノさんの家にお邪魔しタリーをご馳走になった時も
スプーンにフォークは無くて右手で食べたのだが
その時僕達はまだ『やり方』を存じ上げず闇雲にやって
口の周りにお皿の中身やその外側までぐしゃぐしゃにしてしまっていた
サノさんにどうしてそんなに上手く食べれるのか聞くと教えてくれた


タリーの食べ方は

まずご飯に豆スープをびしゃびしゃにならない程度にかけて浸す

お好みでそこにカレーをかけて軽く掻き回す

食べるくらいの量が混ざったら右手の先をすぼませてご飯汁につっこむ

指先を回転させたりして塊にしてご飯を四本の指の腹に乗っける

その時親指は折り曲げて掌の真ん中くらいの所に折りたたむ

ちょうど掌でご飯の塊を弾くような形になる

そのまま口まで持って行き口を開けて親指を押してご飯を放り込む


これが基本
こうすると意外にすっぽりとご飯を口に入れる事が出来る

まさか手で食べる時に『やり方』なんて存在しているとは想像もしていなかった
無事にサノさんのお陰でしっかりと『食事』が採れるようになった訳である


だからと言って完全に綺麗に最後まで食べきる事は難しい

何処かで出会ったインド人が手で食べる方が綺麗に食べれるなんて言っていた
確かに骨付きの肉なんかを食べる時はしっかり食べれるかもしれないが
インド人は過半数がベジタリアンではなかったか?
それに安食堂のインド人達を見ていると結構皿の上にご飯粒が散らかって終わっている
僕は一生懸命最後の一粒まで食べようとするのだが
汁に浸ってしまった小さなご飯粒を取り上げるのにいつも苦労している


まあそんな感じで手で今は食べている
きっと日本人が外国人が箸を使うのを見るのと同じ様に
僕達もインド人達に見られているのだろう

そんな視線の中僕達は汗だらだらになりながら食べる


20100627-2.jpg





食事を終えると一日の始まりの飲み物を
選択肢は二つ

チャイかラッシー

チャイは本当に国民的飲み物でそこらじゅうで飲める
ラッシーもインドを代表する飲み物であるがお店の数はチャイ屋程では無いし
値段に美味しさのバランスが取れたお店を見つけ出すのはなかなか至難である


チャイは基本的に冷やして飲まない
どんなに外が暑くてもアツアツでくるから
飲む時は必ず汗だくになる
『暑い時にこそ熱い物を取る』だろうか


そんな事言ったって冷たい物を飲みたくなる時もある訳で
その時は苦労して少し離れた所に見つけたラッシー屋まで頑張って歩いて行く

ラッシーは店によっては氷を入れず生ぬるいヨーグルトを飲む事になる所もあるのだが
僕達の見つけた場所はしっかり氷を入れてくれ砂糖もバランスよく入っている
日本の飲むヨーグルトを思い出すくらい
すごく飲み易く美味しくそして安くて気に入っている


20100627-3.jpg




そうやって昼食を済ませて宿に帰ってくる
もう汗はダラダラである

そこでまずはシャワー
そのついでに洗濯



こっちの暑さは本当に半端ではない

屋上に洗濯物を干せば10分で乾く
これは冗談ではない

一度Gパンを洗った時も
一時間もしないでからからになってしまった




シャワーに洗濯をし終わって
宿でだらだらする

もう外は灼熱の地獄である
日が落ちるまで活動を控えなくてはいけない




夕方になってやっと宿の外に出る

4時くらいだとまだ日は天にいるから傾いているといってもまだ暑い
ただガンジス河沿いに出ると風が吹き始めていて
生ぬるい風といえども少しの清清しさを感じる事が出来る

クリケットをやる青年達に賭けドランプを囲んでやっている大人達
観光客と見て取ると駆け寄ってくる子供達

そんな中河沿いにあるチャイ屋さんの側の石段に腰掛けて
チャイを一杯飲みながら河や人を眺める


20100627-4.jpg





程無くして空が暗くなってくる
早く帰らなくては迷路に迷ってしまう

急な石段を登って宿に戻る





部屋でごろっとしていると
開けっ放しのドアから宿のオーナーやコックに従業員が
入れ替わり立ち代りやってきて僕達の部屋で暇を潰していく


20100627-5.jpg


いつの間にか宿の受付の電気が消える
もう夜中を回っている


当然僕達はまだ眠く無いから
本を読んだりいろいろこまごました事をやりながら


そうして一日が終わってしまう






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    ふらふら何処かへ酒飲んで本読んで人と話してぼーっとして海に入って空飛んでバスに乗ってまたふらふら何処かへ、、何処へ?うーん。。とりあえずの試行錯誤継続鍛錬。

    2009年5月、日本を後にし、ゆっくりだけどそのうち加速予定。

    未熟ながらもなんとか自分の言葉で世界を書き起こしたい。ただいまその道中。


    name : LAN
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