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世界で二つだけの花


再び淡水にやってくる

綺麗に晴れ渡り
前回と違って傘は一つも見当たらない






モンゴル大使館にビザを申請に行っていた愛二と
それについて行ったルルと
地下鉄の駅で待ち合わせ



今日はがっつりと寝てしまってまだ何も食べていなかった
僕と尚吾はすっかりお腹が空いていてルルにその事を告げると

わかった

と言って先頭に立って歩き出した







ここ淡水

ガイドブックには
デートスポットとか河口の情緒ある街などと書かれているが
今の僕達にとっては

ルルの大学の時の地元の街、淡水

である


20100222-5.jpg





お勧めの店があるからとずんずんと進んで行く道は
前回聖子と二人で雨の中レインボー傘を夢中になって探した道


また


同じようでいて違う道





違うように感じているただの同じ道か










前回の淡水

聖子の初台湾の観光
僕にとっても子供の時に行って以来ですっかり記憶から抜け落ちていた淡水
ほぼ二人にとって初めての道をただ闇雲に歩いて
レインボー傘という遊び道具を見つけた

場所じゃなくて誰と行って何をしたかだよね
って言い合った


側を河が流れ
釣りをする人が居て
河の向こう岸に街のネオンが少し見えて
香港と比べて見たりして
河沿いの商店街に駄菓子屋があったり輪投げがあったり
うちの近くにも昔あったよなんて言って


20100222-4.jpg




ここにだけにある筈のモノ達なのに
「駄菓子屋」とか「ネオン」とか
言葉を貼り付けると途端に味気無く
「世界中にある駄菓子屋の中の一つ」となって

そうしたら何だかこの「淡水」という街も
何処にも特徴の無い
というか世界の何処かにあるモノの寄せ集め
「世界中にある河口の街の中の一つ」になって
急に興醒めしてしまう




タージマハルとか死海とか
世界で一つしか無い個性やストーリーじゃないと
あっという間に世界の多様性に埋もれていってしまう

ナイアガラの滝だって
崖から落ちる水の流れである点から言えば
日光の華厳の滝となんら変わりない
ぼおっとしていたら滝はただの一つの滝になってしまう

下手したらアンコールワットだって
一つのアンコール朝の寺院であって
似たような形式の遺跡はいくらでもある
それこそスモールワールドの小さな模型でもいい




意識しないと場所の特異性はすぐに薄れていってしまう
知識を得ていけばいく程に
世界の広がりと多様性を認識して
可能性というノリシロをつける頭が
勝手に色んな事を想像して感情を押さえつける




しっかり見ようとするとディテールが見えてきて興醒めするのか
ナイアガラの滝の壮大さ巨大さ
ただ細かい所をみれば崖から水か落ちていくという流れの繰り返し
その仕組みはどの滝も同じだと言う気付き

それともただぼおっと繰り返し見る事が興醒めさせるのか
アンコールワットの装飾の甘美さ完璧さ
ただぼやけた視点で見れば
周辺にあるアンコール遺跡群と同じく見える
もっと言えば石造りの寺院であれば同じように見えなくも無い




感動すべき物を目の前にして
僕はそのモノを意識して見るべきなのか
ただ感覚に任せて見るべきなのか

どちらにしても興醒めの落とし穴は存在している


そもそも「感動すべき物」とは何だろう
わざわざ訪れる場所とは一体何の事なのだろう






場所が人に影響を与えるのは理解できる
でも人が場所に影響を与えるのは直感的には理解できない


その一方通行な想いの方向性が
恋にも似たもどかしさに固執に繋がって
思い込みが思い込みを生み
どんどんと想像力が駆り立てられる


アンコールワットに僕が行ったって
アンコールワットが歓迎して朝日がちょうど
尖塔の真ん中から昇るなんて事は無い
いつもの繰り返しが繰り返される

感動してもしなくても
アンコールワットはただそこにある
僕が行ったって行かなかったって
アンコールワットはただそこにある

そんな「場所」への強い想いの発露が
届かないラブレターとなって
詩を詠んでみたり写真を撮ってみたりに繋がるのか




「その場所」が
強烈な力を持っているような
壮大な自然だったり、歴史的に大きな力を持った遺跡だったりすると
そこにある場所が大きすぎて
日頃感じている
場所に参加している筈なのに
場所と精神的なコミュニケーションが取れない錯覚が
僕が場所から置いてかれている孤独感を感じる事になって

そんな「場所」への固執からくる物理的なメッセージが
旗を立てたりそこにある石に名前を彫ったりする事に繋がるのか






知識を得ていくと
それはどんどんと場所の特異性から離れていく事になるのではないか

その内に特異性にしがみつく事も無くなってしまう


今座っている家のソファだって
言ってみればこの世界にたった一つ
この台湾にある叔母さんの家という場所を占有している物

でも多様性を知れば知るほど
その特異性は薄れていって
世界でたった一つが当たり前になる

むしろ瓜二つの完全なる同じ物を見る方が容易に感動できる




これは世界に一つ




当たり前
そうなるともう何にも固執出来ない
場所に固執出来ない

アンコールワットが世界に一つ
でもこのソファも世界に一つ


場所は何も保証してくれない







事実レインボー傘の街になった淡水は
今ルルの大学の地元の街となって僕の目の前に現れた
レインボー傘は一つも見当たらない


ルルの案内で裏道に入り
地元のお店で食べ物を夕食を採る

その後近くのルルの大学へ寄る
もう真っ暗で何も見えないのだが教会が見えて
遠くに河が見える綺麗な場所だ

そこを出て坂を下っていく
そうしたらたまたま前回聖子とやってきたオランダ時代の砦に行き着いた
むしろルルの大学の隣

前回見た時の赤く照らされた煉瓦が
不気味に思い出される


20100222-3.jpg


「レインボー傘の淡水」は今回綺麗に後ろに隠れていた筈なのに
唐突に「ルルの大学の地元の街である淡水」に突然顔を出して
バッティングした想いが淡水という街を急にハリボテのように感じそうになる







場所は何の為に存在するのか
でも人間はそこに存在しなくてはいけない

考えるだけ無駄な話



ふと街を歩いて横を見ると
何処までも落ちて行きそうな路地が穴を空けて
こっちを見ている

その先には場所の無表情な本心が
奥にありそうな気がする


20100222-1.jpg





だからその時



誰かが側にいると安心する




晴れた淡水の河沿いのベンチには
沢山のカップルが肩を寄せ合って
「淡水河の向こうのネオン」を眺めていた




20100222-2.jpg







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    ふらふら何処かへ酒飲んで本読んで人と話してぼーっとして海に入って空飛んでバスに乗ってまたふらふら何処かへ、、何処へ?うーん。。とりあえずの試行錯誤継続鍛錬。

    2009年5月、日本を後にし、ゆっくりだけどそのうち加速予定。

    未熟ながらもなんとか自分の言葉で世界を書き起こしたい。ただいまその道中。


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