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台湾という「場所」について


実は今使っているパソコンのバッテリーを持っていない
いっつもコードに繋いで使っていた


旅の始め、僕達はパソコン一台を三人で使っていた
それぞれの写真の量と予想以上にパソコンでの作業が増えてきた事もあり
一人一台体制を取ろうと旅中に他に二台購入した
二台とも友人に日本で購入してもらったのだが
その中の一台が使って一日で原因不明の不具合

台湾に長めに滞在し住所もある事もあって
日本で修理して台湾に送ってもらった

のだが全然知らなかった事に
パソコンのバッテリーを日本から台湾に送る事は禁止されている

何故かはわからないが
送られてきた箱を開けると
ちゃんとパソコンのおしりの所はなくなっていて
虚しい位に軽い

何処の国でもそうなのかはわからないが
もしパソコンを郵送する事があったら是非注意して欲しい


ラップトップなのに持ち歩いて自由に使えないなんて殆どデメリットしか残っていないのだが
まあ今何処かに行く事もそんなに無いのでどうにもならない程の不自由は無かった
でもそろそろ旅に出発する準備も始めなきゃいけないので
バッテリーを買いに行く事にしたのだ





パソコンに詳しい近くに住んでいる親戚のおじさんと
バンコクにもあった電子機器販売店が沢山集まっている地区へ行き
値段を聞いて回って何とか安く購入する事が出来た

ただそれだけでは済まなくて
物が溢れているというのはなかなか危険に楽しくて
色々と購入してしまう事にもなってしまったのだが



店の近くで台湾の居酒屋といった趣のお店で夕食を採る
後ろで大きな円卓を囲んで楽しくお酒を飲んで騒ぐ大学生ふうの一団がいる
懐かしい風景のように感じてしまう

おじさんが色々と考えて沢山の台湾料理を頼んでくれたのだが
想像以上に一皿毎の量が多くて
すべて食べきれずお腹もこれ以上無理というくらいに膨らんだ

行きはバスでやってきたのだが
帰りはカロリー消費がてら散歩して帰る事になった







今まで行った国やこれからどうするのか
涼しい夜道を胃の中に沢山の物が入っているからか
短い文で切りながらふうふう歩きながら喋っていると
突然おじさんが一人の名前を言った

この人の事知ってる?
今台湾では有名な日本人なんだ

パーティエンイー

勿論北京語だからピンとこない
その後延々とその人について話して聞かせてくれたのだが
それでも誰だかわからないのだから
やっぱり知らなかったのだろう



戦争の時の話だった



日本が第二次大戦中に台湾を植民地にしていた時の話
一人の日本人がやってきて大きなダムを作ったのだそうだ

その時まで台湾は水路技術に関して全く整備されていなかった
そのせいで農作物は少し日照りが続くとすぐにダメになってしまったそうだ

そんな状況を劇的に変えてくれたのが彼らしい
彼は農業の専門家でずっと台湾に住み続け
ダムだけではない沢山の農業技術を台湾に輸入したらしい

その功績は大きく
彼のいた台湾の真ん中辺りに広がる大農作地帯はひとえに彼のお陰だという
一回おコメが無事に取れるだけでよかったのに
今では一年に何度も作物を取れる多毛作だそうだ
それは有名な話らしくそこの地域には彼の銅像まであるらしい

彼は第二次世界大戦終了間際
情勢が芳しくない中台湾から日本へ帰国する事になる
その九州へ向かう船がアメリカ軍に空爆され帰らぬ人となる

台湾にいた日本人の妻は
その知らせを聞き自殺してしまったそうだ



多分僕と同じく多くの日本の人は彼の事は知らないだろう


僕のおじさんは熱が入ったのかすごく勢いのある喋り方になっている

日本が台湾に入ってきたばっかりの時は確かにひどい事をしたけれども
それでもその後沢山の日本人がしてくれた事はすごく素晴らしい
今の台湾の基礎を作ってくれた

日本人はすごい
日本人の仕事はすごくしっかりしている
台湾人は何だかずぼらだね

くすぐったくなるような事を平気でがんがん言ってくる


その気持ち良さの中に浸っていても良かったのだが
少しひっかかる所もあってもうちょっと突っ込んで聞きたくなってきた

何だか少し綺麗事すぎるし
日本人が台湾で社会インフラを整備した事が
台湾における戦争後の早めの成長の鍵を握っていたという話は
ちょっと突っ込めば簡単に日本でも聞く事が出来た
この事が台湾が日本に対する好感のイメージを生み出している
なんていう理論構成になっていたりもする

でも折角今この台湾にいて偶然だけれどもこんな話になったのだから
もう少し聞いてみる事にした




殆どの台湾人が知っているのだろうか
まず何で彼の事を知っているのか聞いてみると

おじさんは照れくさそうに
実は最近テレビで見て知ったんだよね
って漫画みたいに頭を掻いていた

そうかという思いと何で今更という思い

「それは国民党が国民に知らせたくなかったんだ」

と殆ど断言していた



国民党は日本統治の頃の数々の出来事を浸隠しにしていたのだそうだ
それを知られると困る事情があったとおじさんは言っていた

ここ10年で随分と台湾は変わったのだ





そう10年で確かに客観的にも台湾は随分と変わった

90年代初頭に政治の仕組みが変わり
ずっと国民党一党体制だったのが他にも党を作る事が許され
それからやっと民主的な選挙が行われるようになった

そして前々回の選挙で国民党が負け
台湾史上というか中華民国史上初めて国民党以外の党が政権を獲った

多分、その時期に日本人の処々の出来事も明るみに出たのだろう

ただ次の選挙
つまり前回の選挙で国民党が再び政権を勝ち取り
今国民党の政権である



ここで台湾の歴史を少し



台湾、つまり中華民国は
1912年の辛亥革命によって清の次に中華の土地に成立した国家で
その時のトップが蒋介石

その後東アジアにやってくる欧米諸国を中国から追い出す為に
共産党の毛沢東と共に戦っていた
しかしそれがひと段落するともともと思想が違う同士
毛沢東と蒋介石の仲は急速に冷めていく

今でもよくある話だが
国家の団結を作るには外に敵を作る事
もし出来ないと熱は内側に向かってしまうもので

そこで国民党と共産党が戦いを始める
国共戦争だ
日本もこのきっかけに手を貸していたみたいだが
どちらにしても一度始まった戦争はどちらかが負けを認めるまで
なかなか終わらないもので

結局より周り、つまり諸外国の援助をより得られた共産党が優勢になり
国民党はほうほうの体で台湾島にみんなで逃げてきたのが「台湾」の始まり

蒋介石を大陸から追い出した毛沢東は
北京で中華人民共和国を建国


そう

今のこの「中国」と「台湾」のねじれ現象の原因は
その当時蒋介石が「負け」を認めていないという事

いや正確には負けを認めていたのかもしれないが
国家の消滅は認めていないという事

言ってみれば日本史の南北朝時代
どっちもが自分が正当な中華の流れをくんだ政権であると主張している
これが問題なのだ

今でも中華民国の首都は正式には成立当時のまま「南京」となっている
日本でいう独特の年号の数え方の元号みたいなモノが台湾にもあるのだが
今年は「民国九十九年」
民国元年は辛亥革命の1912年だ





大体の流れはこんな感じである
僕が知っているのもこんな感じである

何故こんな事を書いたかといえば
それは学校で教える歴史の話になったからだ





話を突っ込んでいくと
何と学校の授業で台湾の歴史なんて殆どやらなかったといういのだ

日本と同じく「歴史」の授業は
日本史に相当する国史
世界史に相当する外国史
の二つに分かれている

しかしこの国史
ここでは何と中国の歴史
つまり秦の始皇帝や三国志にフビライハンという事を習い
近年の台湾に来る辺りは教えていなかったのだという

国民党の正当化という所
そしていつかは大陸に帰るという強い党の意識が
こんな歴史教育に繋がっていたのだろう

昔はテレビだって台湾語の番組など存在せず
台湾語の曲を一日に一曲たった一回だけ流す事が許されていた
何て不思議な決まりもあったし
学校で台湾語を喋ると罰金をとられ
首から「私は台湾語を喋りました」なんていうカードを
ぶら提げていなければならなかったという

蒋介石を筆頭に国民党はいつかは大陸に戻るという決意を持っていたし
だからこそ台湾人としての自覚を与えてしまわない為にも
きっとこんな処置を取ったのだと思われる



台湾は大陸の中心からしたら遠い遠い田舎にある小さな島だったのだから
彼等のプライドが余計に強く発揮されてしまうのは致し方無いのかも知れない

だが結局現在に至るまで元に戻る事が出来ず
むしろこの状態である程度落ち着き
さらにはそれなりの経済的成功も収めてしまったものだから
この問題は先の見えない所に入ってしまった



台湾は国連機関に席を持てない
何故なら中華人民共和国が席を有しているから
しかも中華人民共和国はご存知の通り常任理事国で強大な力を持っている

逆に中華人民共和国がアメリカと国交を復活した事で国連に戻って来るまでは
中華民国が国連の中で中国として常任理事国であった

それ以来中華人民共和国は一気に世界外交の世界に現れて世界を席巻していく
国連で起きた事が世界中で起きていく
何処の国も中華民国との国交を断ち中華人民共和国との国交を取り付ける
お陰で外交世界で台湾はどんどん孤立していく



国民党は経済的な成功と外交的な孤立の中で迷い
その内にどんどんと時間が経っていった

そして物流やインターネット等で世界が狭くなり
国と国との関係が近くなっていく上で
どんどんと身動きが取り辛くなっていった



そこで選挙が行われた
国民党と新しく結党された民進党
国民党は大陸へ戻るという党の至上命令が昔から存在していた
対抗の民進党は台湾独立寄りの主張
この時の選挙で民進党が勝利した
これは台湾が歴史的な時間の中でも熟してきた事を表しているのではないだろうか


ただ思ったように成果があがらなかった政権は次の選挙で負けてしまう
代わって現国民党政権
彼等は前回初めて政権を明け渡す事になった屈辱からか新しい国民党を謳い
新たな時代の中華人民共和国との関係を模索する方へと方向転換した

積極的に大陸共産党と接触を図り
日本にとっては懐かしいパンダ外交が行われ
大陸ー台湾間初の定期航空便も飛ぶようになり
だんだんと前に進もうという歩みが始まっている







きっと今この政権があるのは
世界が近くなるこの時代に取り残されそうになっているのに
それでも色んなしがらみの中で動きが取れていない
台湾の人々の切実な想いが混じっているのだと思う

さらに中華人民共和国は経済的な成功を今手に入れだしている
台湾は経済的な成功という所をも失いつつあり
今までのバランスも崩れようとしている

しがらみどころか前に進めないだけになってしまう

独立でも香港のようでも
何でもいいから今の状況から何とかしてほしい

という事なんじゃないだろうか
僕が今の台湾を見ての印象から考えるに





僕の家庭はもともとどちらかというと外向きで西欧寄りで独立志向が強い為
どんなに客観的に書こうとしてもきっとどっかで偏りがあるかもしれないが

基本的に今おかれている台湾の状況はこういう事で
大体は間違っていないと思う





いつかのブログにも書いたように
今の台湾に住んでいる若者は完璧に台湾語を話せる人は少ない
その理由は先にも述べた教育という所に理由がある

ただ時代は変わった
もう強制はされていない
台湾語の番組も沢山流れている
若者の感情としても台湾語に対する想いは強い



やっぱりこの台湾という場所は
個別に歴史を語れるくらいにもう時間を溜め込んだという事なんだろう



歴史やアイデンティティは
国家の成熟度を見る上で指標になったりする
国家としてはどうかはわからないが
「台湾」という所もそういう意味で場所として成熟してきたという事か

だって世界的には正確に言えば台湾という国家は存在しない
台湾という言葉においての意味でもそうだし国家かどうかという意味でもそう
でもみんな台湾という「場所」は知っている


人の歴史に残る場所は
そこでの人の活動の試行錯誤とその時間の長さが決める訳だ


人の記憶に残る場所もきっとそう


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    ふらふら何処かへ酒飲んで本読んで人と話してぼーっとして海に入って空飛んでバスに乗ってまたふらふら何処かへ、、何処へ?うーん。。とりあえずの試行錯誤継続鍛錬。

    2009年5月、日本を後にし、ゆっくりだけどそのうち加速予定。

    未熟ながらもなんとか自分の言葉で世界を書き起こしたい。ただいまその道中。


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