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新鮮さ


カトマンズの町並みは期待通り僕をワクワクさせた

いやワクワクなんて生易しいものじゃない
皮膚のすぐ下まで身体の中の熱が沸き上がってきて
今にも爆発しそうなくらい

いつ振りだろうかこんなに興奮するのは
僕は一生懸命首を振ってすべてを感じ取ろうと必死になった


何もかもが新鮮


目に入るすべてのもの




人に然り、建物に然り、食べ物に然り、空、言葉、声、、、



20100501-5.jpg



何もかもが


20100501-4.jpg



サリーを着ている女の人が向こうから歩いてくる
それだけでもだらしなく声を上げそうになるくらい

サリーなんて何度も見た事があるのに
テレビでも家の近くのネパール料理屋にだって

なのになんでこんなに興奮するんだろうか







オッキーが水先案内人になって
僕達を街に連れ出して色々と教えてくれた

オッキーはずっとこの街に居たかのように
沢山の事を覚えていて彼の記憶にいちいち脱帽した



オッキーは今回インドを中心に廻る為に日本から出てきた
ただ6年前に南アジアにやって来た時に寄ったネパール、カトマンズ
そこで食べたあるレストランの料理が忘れられなくて
わざわざ今回ネパールにやってきたらしい

オッキー曰く

「はっきり言ってギリンチェに行く為だけにネパールにやってきた」

そうな



そこまで言わせるレストランなのだから
そりゃあ素通りなど出来る筈も無く



今日の昼食は当然のようにその噂のレストラン『ギリンチェ』になった



ここはチベタン料理屋さん
チベタンとは「チベットの」という意味

ネパールは実は沢山の民族によって構成されている
勿論それはすぐ上に接しているチベット自治区のチベット族も例外では無い


僕はチベットの政治的な話しか殆ど知らないから
チベットの食文化については全く知識が無かった

多分よく政治的な話題が上るから
どうしてもその文化的な、食文化までに目がいかなかったのかもしれない



そのチベタン料理というのに
ばったりとネパールで出会う事になった



その味はオッキーの話を聞いて期待をしている自分を
充分に満足させてくれるものだった




美味い!




まさに日本人の舌に合うという感じ

東南アジアで味付けの偏った
そして癖のあるような料理ばかり食べてきた僕にとっては
まさに優しい身体を温めてくれる最高の食べ物だった



僕達が頼んだのは

形は全くの餃子
味も中身も餃子の感覚と同じ
名前が何とも可愛らしい、『モモ』


20100501-6.jpg


そしてオッキーが愛して止まない
野菜と肉を煮込んで片栗でトロトロにした
クリームシチューのようなスープに
日本のほうとうのような丸い麺が入った、『タントゥック』

僕達が頼んだのは同じ様なスープに
ほうとうの代わりにパスタ麺を入れた、『トゥクパ』


20100501-2.jpg



スープが兎に角優しくて
一気に身体がポカポカになってきた

モモも餃子と同じくしっかりと身が入っていて
それをチリソースのようなタレにつけて食べると
皮の甘みと相まってまさにビールのつまみに持って来い



一体何で日本にチベタン料理屋さんがないのか不思議になるくらい



店を出てからもその幸福感は続いた










興奮は醒め止まない





ふと
そういえば周りの景色にこんなに新鮮さを受け続けるのは
初めてかもしれないと思った


20100501-7.jpg


確かに今まで沢山の新しい土地を訪れてきた
人生で初めて訪れた事は疑いの余地は無い


でも思い出してみれば


例えばカンボジアに行っても

「ここら辺はタイと似てるね」

とか

ベトナムに行ったら

「ここはカンボジアとは違うね」

なんて
何かが基準になって評価していたかもしれない



それって確かに初めての事なんだけど
それでも新鮮さって意味からしたら何だか物足りないような

別に意識していないけれどもクールになってしまったり
逆に自分をあんまり驚かさないように落ち着かせようとしたり








それは今まで行った国が色々行ったとはいえ
すべてが結局東南アジアだったからか?
オセアニアだったからか?
東アジアだったからか?

それとも自分の中の知識が感動の邪魔をしていたからか?



でもネパールにだって僕は満足とは言えないが
少しの知識は持ち合わせていたし
全く知らなかった訳では無い


20100501-8.jpg


でも


この感動に興奮は


全く新しい所に飛び込んだ


まさにそういう感じだ


20100501-1.jpg





自分の気持ちの持ちようなんだろうか





もし東南アジアの何処かでも日本から直接その街に飛んだら
やっぱりこの感動があったのかもしれない


20100501-9.jpg




僕が日本から飛んだ時
オーストラリアの時を思い出そうとする

確かに興奮した事はしたけど
ここまでじゃなかったような気もする

あの時は尚吾が既にそこに居た
空港に降り立ってから
まずは尚吾の住んでいる家に向かうという明確な目的もあった

それが作用していたのかもしれない





今いつの間にか長く旅をしていて
旅に対する気持ちに余裕が出てきた

それが新鮮さを邪魔したのか





いつの間にか




それって別に旅だけに関した事じゃ無い

学校だって仕事だって社会だって
全部そうだっていうし実際そうだった事は何度もある




だったらやっぱり今感じているこの新鮮さも同じ事なんだ


20100501-11.jpg






僕は遂にこの南アジアに来た



それは台湾を出発する時からずっと想い描いていた
そしてタイに行って予定を前倒しにして
でもそれでも一ヶ月経ってやってきた場所

そんな気持ちの流れが
今の周りに見える沢山の新鮮さに繋がっているんだ


20100501-10.jpg




新鮮さ





そうやっていうけど

それは周りから与えられるんじゃなくて
やっぱり自分の気持ちの持ちよう

どんな場所に居たってそれは感じられる
だって周りは対象であって
新鮮さは自分の気持ちが生み出すものだから






日本に居る時に

世界廻るっていいね
うらやましい
いつも新鮮な刺激ばっかりだろうしね
日本に居たら全然退屈だろうし

そんな事をよく言われた



確かに新しい物はいくらでもあるから
簡単に刺激に変換する事は出来るかもしれない

でもそれを言われた時
僕はいつも違和感を感じていた

僕は日本に居る時だってそれを感じなかった事は無いし
きっとみんなだってそれは感じて日々を過ごしている筈

新しい事を覚えていくし
新しい物が現れてくるし
新しい人に出会っていくし






それは逆に言えば旅をしていながらでも
退屈を感じる事はあるという事で
勿論それはいつも自分の近くをうろついている


だから僕はいつも人に言われても

「そんな事はないよ」

とは言っていたけれども


いつの間にか旅の生活に慣れてしまって
いつの間にか新鮮さを忘れてしまっていたのかもしれない








新鮮さ、








周りの物は確かに時間と共に変わっていっているけれども
僕にはその大きな移り変わりを捉える事は到底出来ない



時間の流れに
壮大な宇宙は

ちっぽけな人間の僕には大きすぎる



人間にとって大きな流れは
殆ど把握出来ない

止まっている様に感じてしまう





でも人間には想像する感じる頭がある


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    ふらふら何処かへ酒飲んで本読んで人と話してぼーっとして海に入って空飛んでバスに乗ってまたふらふら何処かへ、、何処へ?うーん。。とりあえずの試行錯誤継続鍛錬。

    2009年5月、日本を後にし、ゆっくりだけどそのうち加速予定。

    未熟ながらもなんとか自分の言葉で世界を書き起こしたい。ただいまその道中。


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