スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

ガンジス河で天国への階段を昇ります



バナラシといえば
それはまず間違い無くガンジス河である

バナラシの歴史に町の形成に至るまで
すべてがこの河によるのだからそう言い切っていいだろう

信仰、生活、産業

ほぼすべてがガンジス河と関わっている


なので訪れた人々がガンジス河に行くのは必然である
そこで行われるガートのセレモニーに火葬場でインド人の生死を目撃するのも
やはり必然である

そしてもう一つ僕達に提示されるバナラシでの必然



ガンジス河で身を清める『沐浴』を観る事によって彼等の信仰を感じる事

ヒンドゥーの教えでは
ガンジス河で一度身を清める事によって天国への階段を一段登る事になっている
のだからみな生前にせっせと沐浴をする訳だ



河辺の石段に腰掛けて眺めていると沢山の人が河に入っている
その様子はなにもそんな教義だけではなくて
普通に生活用水として利用しているような人が大半だ

石鹸で身体中を泡立てているにいちゃんもいるし
食器を洗っているおばあちゃんもいるし
歯磨きをしている女性二人組みもいるし
溜まった魚の死骸を河の流れに戻しているおじいちゃんもいるし
勿論祈りを捧げている人も中にはいる

そんなのが河辺に行けばすぐに観られる



ただそれで僕達の必然が消化される事は無い

観光にやってきたのであればそれで済むかもしれないが
少しやんちゃな僕達の旅は次の選択肢を必然的に提示してくる




俺らも『沐浴』をするか否か




まだまだやんちゃな僕達はまあ当然『する』方に傾く

折角ここまできてやらない訳にはいかないでしょ!
郷に入っては郷に従え
それをせずにバナラシは語れん!

となる訳である







沐浴には朝が良いと聞いていたので
徹夜をして朝日を見るついでに向かう事にした
ガンジス河に昇る朝日はなかなか綺麗だと宿の人が言っていたのだ

5時に向かうも既に回りは明るかった
といっても空は砂埃かスモッグがかっていて視界がいいとは言えない
もう太陽は昇っているかもしれないし昇っていないかもしれない

僕達ははっきりいって殆どどうでもよくなっていた
申し訳ないのだが気持ちが沐浴に完全に支配されている




何故なら



やはり噂通りガンジス河は汚い




初めてガンジス河を見た時の感想は
前に飛び込んだアユタヤの河の方が断然汚い、だった
ガンジス河に対してのイメージが強かったのもあるだろうが
その時はむしろ綺麗に見えた

イメージとは妄想であり現実を前にして霧消するものだ
それがこの旅での重要な意味でもあるのだがそれはさておいて
もともと強烈に汚いと思っていたガンジス河の妄想は
初見で霧消してそれから10日程たった

イメージが無くなりというか新しく『意外に綺麗』というイメージが
出来上がってしまった頭

その上で実際に飛び込むというのを目前にして改めてガンジス河を見れば
やはりそれはたった10日と言っても妄想とは膨らむもので
今度は反して強烈に汚く感じる




二人でまだ暑くならない河辺に立ってガンジス河を眺める
河ではバシャバシャとやる子供や大人達


20100701-3.jpg


事前に順番が決められていて僕が先に『する』事になっていた



さて、



一体どのタイミングで行くべきなのか、、



殆ど立ち尽くすといった感じで河を眺める
やるならいつ入っても一緒なのだが
こういう時どうしても心の準備がいるのは何故だろうか

僕達はまずチャイを飲む事にした

河辺にはいくつか即席の売店がやっていて
そこでビスケットやらチャイが買える


20100701-1.jpg


そのチャイを啜りながら河を眺めるのは
とても落ち着いていてすごく和やかな時間が過ごせていいのだが
昨日宿の人に言われた衝撃の言葉が今は頭を過ぎる


「宿の水もどこの水もガンジス河の水だ」


まあガンジス河のすぐ側なのだからそれは何となく感じてはいたけれども
それを実際に笑いながら言われるといやまたずしんとくる
宿のオーナーはさらに続けて


「河沿いでチャイを飲んだか?あれはまさにガンジスの水だ」


確かに眺めているとチャイ屋のお父さんが娘に水を汲みに行かせているのは
すぐに近くのガンジス河である


今ガンジス河に飛び込むのを少し躊躇して心の準備をしている
そんな時は出来る限りガンジス河の妄想から離れたいものだが
心を落ち着かせる為に手にしたチャイはガンジス河を連想させてくる訳だ
いや連想ではない、まさにガンジス河だ


やはりこの町に居ればガンジス河から逃れる事は出来ないのだ




どうしようも無いと感じた後の諦め
これは勇気とは違うか?

思考された想いの後、無事に行動に結びつくのが勇気であれば
諦めも言ってみれば勇気とそう変わらないのではないか

是非勇気ある行動として受け止めて欲しい




僕はチャイを飲み終わると
別段勢い良くも無く悪くも無く立ち上がって
そのまま止まる事無く大きめの石がゴロゴロした河辺に向かう

周りにはやはり石鹸を泡立たせている人がいる
バシャバシャとバタフタイのように手を何度も回して顔を水につけている人もいる
そんな中僕は服を脱いで一番縁の石に腰掛けた

アユタヤの茶色い河とは違って緑色をしているが
中を覗き込めば河底は当然見えない
河上に化学工場があって垂れ流しにしているという話が頭を過ぎる

ただここまで来るともう止める要素は無い
何故なら諦めからきている行動は諦めた瞬間から頭はすでに思考を辞めている
殆ど惰性で身体が動いているだけだ

これが言ってみれば勇気とは違う所かもしれない
勇気から飛び出した行動は半分トランス状態で頭が正常とは違ってアツイ状態であるが
諦めからきている行動は逆にサメタ状態であると言えるかもしれない


水を掬ってみると確かに液体の感触が
特に温くも冷たくも無い
ちょうどいいといえばちょうどいい

少し身体にかけてからそのまま






入った






何も特別な事は無かった

足から順にゆっくり入った
想像以上に河底が浅くて拍子抜けしたが
ゆっくりと足を使って前に進んでいった

河底の石は想像通りぬめっとしていた
まあでも想像の範囲内といった所だろう



あんまり進んでもそんなに深くならないので
ある程度進んでから肩まで浸かった

視線はぐっと水面近くに落ちて
今までずっと見てきた景色が全然違って見えた

上から見下ろしていただけのガンジス河に沐浴をする人達が
本当に近く見えた

これは物理的な意味でもそして精神的な意味でも

さっき特別な事は何も無かったと書いたが
一つそういう親近感というものは沸いたかもしれない
しかもそれはガンジス河に『入った』という単純な行為だった割りには
すごく強烈に想う所だった



河辺から対岸に視線を移すと朝日が姿を現していた
少し大きくオレンジ色に見える太陽は
河に写って僕のすぐ手前の所までその色で染めていた

河の水面からそれを眺めるのは
確かに少し綺麗であるかもしれない






20100701-2.jpg






愛二も無事に『身を清め』
濡れたまま宿に戻って念入りにシャワーをした

このシャワーの水も結局ガンジス河の水ならば
念入りに洗ったとしてもしょうがないのだが



その後二人ともちょっとした不調が現れたのは言うまでも無い



ガンジス河で沐浴をすると天国への階段を一段昇る事になる
まさか寿命が縮まって天国へ近づくという事ではないだろう

と願うばかり



コメントの投稿

非公開コメント

main_line
main_line
Profile
    ふらふら何処かへ酒飲んで本読んで人と話してぼーっとして海に入って空飛んでバスに乗ってまたふらふら何処かへ、、何処へ?うーん。。とりあえずの試行錯誤継続鍛錬。

    2009年5月、日本を後にし、ゆっくりだけどそのうち加速予定。

    未熟ながらもなんとか自分の言葉で世界を書き起こしたい。ただいまその道中。


    name : LAN
    now : Quito ( Ecuador )
    latest update : 20120816
LAN Twitter
    旅の日記はなかなかリアルタイム更新とはいかないが、twitterならなんとか、、

     → follow me on Twitter

関連日記

共に旅立った同志達のブログ

sallan

I.G.
http://salig.blog37.fc2.com/

SHOGO
http://salshogo.blog37.fc2.com/


共に旅をするパートナーのブログ
ばーちーの、ちるり旅
http://jstyle623.blog129.fc2.com/

最新日記

 → check my all posts

カテゴリ
本 (0)
UAE (4)
カレンダー
10 | 2017/11 | 12
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 - -
最新コメント
SAL
検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。