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石の上にも

20120517













三年が経ちました







それこそ紆余曲折、色々とありましたが
バタバタろくに準備も出来ずに日本を発ち
そのままグチャグチャになりつつも帰国する事無く丸三年


いや、
準備自体はこの構想が生まれてから
実際に出発するまで数年あったのだから
時間的には結構余裕があった筈で


正確に書くとすれば

『覚悟の足りないままに出発した』

であるかもしれない




準備と云えばまずはお金が大事
だから準備期間中、お金を貯める事は勿論した

お金なんていくらあっても足りるもんじゃないし
考えようによっては十分と思えたりもするし
だからそこに関しては兎や角自分に対していうつもりはない

文句を付けたくなるのはこのブログの辿ってきた道筋その様に
あっちいったりこっちいったり
一向に落ち着きをみせようとしない気持ちだ




出発した時、

それは三年前だから今から比べて当然若いとはいえるも
それでも25歳

時間や環境に流されないような考え方が
出来るようになっていて十分な歳

それなのに僕は沢山の可能性を残そうと
何も決めずに日本を出てきた




その当時、周りを見渡せば
みな仕事を決めいやむしろ
もう既に第一線で活躍している人達ばかり

付き合う人達もどんどんと幅が広がっていた時

僕はいつまでも話や経験を聞くばかりの
『子供』のままだった

そしてそれでいいと思っていた




その想いがある極限まで達してしまったのか
遂には社会に出ずにこのままで世界に飛び出してしまおうという

「そういう輩がいても面白いじゃないか」
「これから大志を抱いて夢の中に飛び込むのだ
 子供で有り続けるべきだ」

上手い正当化を見つけ出してきては
周りに「聞いて!」とせがむ




そのくせ具体的な所ははぐらかす

「目的は?」
「今から行って、帰ってきてからどうするの?」

「そんな野暮な事を聞いてくれるない!」

何とか口で説明しようとするも
回りくどい事を並べ立てながら
結局その実、何も決め切れてないという事に対する言い訳


タチが悪いは自分自身に対しても
そのような説得に走る

「今興味がある事、そればかりに気を取られていたら
 折角、沢山の出来事に物が溢れているだろう世界に飛び出すにあたって
 自分の知らない宝物を見逃してしまう可能性がある」

フンフンと鼻息荒く納得して
僕は何も決めないという事を『決めて』出てきたつもりになっている


この場合、『決める』とは数ある選択肢の中から一つ選ぶ行為であって
僕は何も選べてないのだから、やっぱり何も決めていないのだ
それはただ結論を先送りにしたに過ぎない


いつかのブログにも書いたような気がするが
可能性と発言する時は、あくまで自分との間の『実現』可能性なのであって
むやみやたらの無限な可能性は論じないようにしている
特に選択を伴う話の場合は

選択肢が思いもつかないのだったら
可能性もやはりゼロ

可能性とは全くの空想では無く
仔細な情報を組み合わせた
極めて具体的なイメージの話なのだから


だから、選択肢は有限の筈で
選択の先の可能性もやっぱり有限の筈なのだ






そうやって声を大にして言えるようになっただけ
僕はこの三年でちょっとでも成長したのかもしれない



























どんなに冷たい石だろうと

その上に三年も座っていれば暖かくなる




























ここで云われている三年というのは単に『長い期間』を表すらしく
三年間というのにこだわっている訳では無いという

そうはいっても日本の社会でこの三年というのは
一括りの期間としてはよくみかける数字で
それは仕事や学校や恋愛までいたるところである

きっと社会システムのリズムに関係するのであろう


ここで云う『長い期間』が三年であるというのは
日本人にとってはしっくりくる表現と云える

だからみなに浸透する言葉になっている訳だけれども











さて日本を飛び出して三年経った

僕は一体どんな石に座っていたのだろうか








冷たい石?




どちらかと言えばただただ興奮して出発した当初
そこから随分と冷静になって物事を捉えるようになった

初めに熱い石があって、冷めたのかもしれない




いやいやそもそも

移動し続けていて常に何かの刺激にさらされながら
逃げるようにして地球を這いずり回っている状態で

座り続けている事など無いのかもしれない











でも、















『それでも三年経った』




















というのがこの言葉の意味するところであるだろう



冷たろうが熱かろうが
三年も経てば物事は変化するという

突き詰めようが逃げ回ろうが
三年も経てば思考は変化するという



どんなに鈍感でノロマでも

何かの変化が表れて新しいモノが現れるという


















この世において物事が変化するというのは

突如ひっくり返るというよりも
日々徐々に変化が加わっていくというのが自然であろう


『変化』という言葉にはそれまでの過程が
無意識なりとも内包された表現である





現代になって資本主義が席巻し
結果が以前よりも重要視されるような世界にあって
ついつい変化を求めてしまいがちになる

変化をいつも意識していると
どうしてもしょっちゅう振り返ってしまう


「この取り組んだ一週間の成果は」

「一ヶ月の経験は活きているのだろうか」


結果を気にしすぎると過程をおそろかにしてしまうが
過程を抜きにした結果というのは
どうしても心細いモノになる

神羅万象、流れの中にあるのだから
ある一点の事柄をそれのみで評価するのは
確かに心許無い、というよりも
言ってしまえば摂理に反するというものだ


だからこそせめても判断を下そうという時には
比較したくなってくるもので

だが、その比較というのはまた結局
二点間の差異を炙り出そうという所にどうしても重点がいってしまって
小さな変化を躍起になって探すという行為になりがちだ


変化に過程という意味が内包されているというのならば
比較の末に見つけ出すべきは過程の痕跡である


結果主義からすればなんと甘い発言だろうと叩かれてしまうが
人生80年という現代の人の時間的感覚において
一週間や一ヶ月で変化を見極めるのは少し酷な話ではないだろうか

だからそんな短い期間の比較の末には
過程の痕跡を求めるべきではないか






じゃあ、変化はどう評価すべきなのか


きっとそこで人を後押ししてくれるのが
この三年の期間なのではないか

どんな紆余曲折があろうとも三年経てば
何かハッキリとした地点の変化が見て取れる

筈であるという


逆に云えば三年も経つ前から
いちいち変化を求めずに振り返らずともよい

それまではただひたすらに取り組みなさい
三年経てば自ずと変化が見える

という言ってみれば甘い文句であるかもしれない
















さて僕に起きた変化とは何だろう

それはやっぱり先に書いたような選択の話かもしれない





石の上に座り続けて

右に左に体重を移動させたり
意味も無くジャンプしてみたり

そうして今では何処が居心地のいいポイントかもある程度は分かる
色んな事をして同じ石に対して随分と理解が進んだ




初めは頑固に座り込んだ気がする


絶対に納得するまでは帰国しない
絶対にする事
絶対にやらない事

身の安全や周りを説得する事に精一杯で
兎に角色んなルールを作り出した

将来的な話を何も決めない
一本に絞らない

というのもその一つだ




ふとそういう最初の頃の自分と今を振り返ると
随分と今の心の中は軽いな、という感じを受ける


勿論最初に決めたルールだ
ある程度は貫き通したいと思う気持ちもあるが

どちらかといえばなるようになるだろう
どうしようもないところはどうしようもない

という『柔軟性』を強く感じる




旅をしていると色んな理不尽な事が降りかかってくるから
『絶対』という言葉が通用しないというのを
いつの間にか受け入れてきた、というのもあるだろう


それはつまり

きっと硬い石を自分なりに座りやすいように
削ってきたのかもしれない

これに関しては
どんなに硬い石でも長い年月のうちに風雪で穴があくという
『風雪、石を穿つ』という文句の方がしっくりくるかもしれない



初めは怖くて削る事も出来なかった
硬い石に対抗するような度胸も自信も無かった

それがいつの間にか年月が経って
削っても大丈夫だという十分な裏付けを持つだけの
経験を見て回ってきたのだ





そうやって重みと年月によって丸くなった石は
自然と柔軟性を持ったと云える



















そう、きっとここで云う『石』とは
『意思』という事なんだろう


少なくとも旅の期間を通して感じている僕の場合は
そうだったかもしれない


























この文句を今実際三年経って呟いてみてふと思った事がある

果たして三年座ったこの人は
次はどうするのだろうか


新しい冷たい石を探して
またそこに三年座ろうとするのだろうか

それとももうそんな事はしないで
立ち去ってしまうのだろうか






柔軟性を持ってきたという事は
つまりは選択肢の増加を意味する


出発前のむやみやたらに将来を大事にする
無限の可能性からくる無限の選択肢ではなく

ハッキリと道を示す選択肢の増加






となればじゃあこの石を降りて
ある選択肢を選択して前に進んで行くという事だろうか



いや、違う


実際にこの三年目に立って僕が言える事は


















まだこの石の上に座っていたい、

と願う気持ちだった
























それはそうである


自分に合った形に石は形を変化させ
自分もどういう位置に座れば居心地が良いのか知っている

今までで最高の噛み合わせになっている
この状態からわざわざ降りようという気持ちには
なかなかならない

しかもまだまだこれからも伸びていけるという
可能性を感じるのだから






三年という意味は

振り返ればそこにどんなに遅々であろうとも変化を認められると
その訳は、ここで終わらせて足ると云う意味に在らず




変化が必ずそこにあって
その変化を認めるという事実は

きっと次への一歩に繋がるであろう




人生の中で延々続いていくという歩みの中で
その足を留めないようにする為の


これは

暗示の文句なのだ










まだ座っていたいと願う気持ち


そう思っただけ



やっぱりこの三年には意味があった













そうして次の一歩を踏み出す勇気も持てている今


無限の可能性に振り回される事なく
有限の選択肢を決めて進んでいけるだろう


















ん?



これは『固い意思』なのだろうか?








でも大丈夫、


また年月を経てこの石は丸く柔らかくなる





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    ふらふら何処かへ酒飲んで本読んで人と話してぼーっとして海に入って空飛んでバスに乗ってまたふらふら何処かへ、、何処へ?うーん。。とりあえずの試行錯誤継続鍛錬。

    2009年5月、日本を後にし、ゆっくりだけどそのうち加速予定。

    未熟ながらもなんとか自分の言葉で世界を書き起こしたい。ただいまその道中。


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