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僕にとっての『旅』

昨日のブログで旅は欲望の発露と書いたが
これは最近というかこの旅を始めた辺りから漠然と持ち始め
今になってようやく言葉に出来るようになった旅に対する一種の僕の答えである

答えを言うにはまだまだ僕の旅は始まったばかりなので早すぎる感があるが
まぁ、真実の答えなど一生を終える瞬間で無い限り出せるものでは無いし
その瞬間瞬間に小さな答えの積み重ねがあってもいいのではないだろうか

そんな難しく考えないにしても
「『旅』って何だと思う?」
と聞かれたら答える『答え』と言った方がいいかもしれない

という事でここに僕のこの瞬間の答えを少し書いておきたいと思う
長く退屈であるかもしれないがこれは僕自身の日記でもあるので是非書かせて頂きたい







『旅』という言葉はとても便利で
先人の素晴らしき人達の努力の甲斐あって
日本においては『旅』、特に『世界を旅する』なんていうのは
一つのブランドのようになっている

今では沢山の旅指南書なる物が世の中に出回っているし
ここ10年辺りからは世界一周まで一つの選択肢として当然のようにある
世界一周航空券なんて便利な物が出来、浸透し始めてから
1億人総中流家庭を一度達成した日本で生活する、趣味にお金をかけられる人達
さらには世界に誇る日本パスポートを所持した者にとっては
随分と身近になった

そしてここに至ってネット社会であるから
本の出版に始まった旅ビジネスはブログからホームページにツイッターまで
簡単に情報を発信出来るし受信できるようになり
広告がそこに入り色んな旅に関する『祭』も行われるようになった

本来なら『旅』とは『孤独』がほぼ必ずついて廻るものだが
そんなネット社会の双方向メディアというヤツで
タイムリーに沢山の人と情報を共有できる

お陰で前なら一体何人の人が世界を旅しているのか
日本から把握する事は難しかったし日の目を見る旅人は
本を出版できる著名な作家やジャーナリストばかりでほんの一握りであったのが
誰でも気軽(と書くと失礼か)に本を出せるし
今では本屋に行けばコーナーがあるくらいである


殆ど情報過多気味なそれらはこれから行く人達にとって
とても有益であると同時に縛りでもある

いくら旅に出るハードルが下がったとしても
どうしてもそこには「折角行くならこんな事してやろう」
なんていう冒険心やら対抗心やら何やら心の隅の方に必ずあるもので
人がまだ行っていない所や人がまだやっていない事を遣りたがろうとする

結局旅に出る人は僕の印象だと天邪鬼な人が多いので
旅の中でも多くの人が同じ事を遣り出すと
それを避けようとしたり遣らなかったりする


バスのチケットを取りにネパールはカトマンズの旅行代理店に行った時
そこにはインドのパトナ経由でバナラシへ向かうバスチケットを
購入しようとしている日本人女性とそれとは別に白髪の日本人旅人が居た
日本人女性が代理店を出た後にカトマンズに長期滞在していると思われる白髪の彼は
「何でみんなそんなにインドに行きたがるかねぇ」
ぼそっと言い、それからぶつぶつと愚痴とも説教とも付かぬ事を喋りだした
何度もその相手をしていると思われる代理店のオーナーは
もう慣れっこなのか特に相手にしていなかったが


そんな感じで「俺は」、「私は」な天邪鬼達の
試行錯誤の上に編み出された沢山の自分流『旅』がそこらじゅうに出回っているものだから
新しく出発しようとしている天邪鬼達はさらに苦心するというモノである

他人事のように書いているが勿論僕もその天邪鬼のカテゴリーに入っているのであって
当初はそこにいやに苦心したのは言うまでも無い
のだが、まだ僕の中には純粋に世界を見てやりたいと思う心が居てくれたお陰で
いつの間にかそんな気は失せてしまった

というか何より『お金』という超現実的問題が
そんなあやふやな悩みをあっけなく消し去ったというのが本当の所だろう


それにしてもそんなんだから日本を出発する前に
「俺は世界を見てくる!旅をしてくるよ!」
何て豪語すればみんなが聞いてくる
「何で?」
「お前にとって社会を捨てて行く『旅』って何?」
こんな質問をされると旅を選択した僕のアイデンティティに深く関わってくると身構え
さてこの質問にどう答えるべきか、下手に答えられないとなる

この時には旅にまだ出ていない訳だから当然答えなんて自分の中には無い
そんな時は無邪気に「行きたいから行く」何て言っておけばよかったものを
天邪鬼な精神がムクムクと起き上がってきてあーでもないこーでもないと喋りだし
結局総じて言い訳じみてくるのだ

特に興味の無い友人などは冷静だからそんなのすぐに見透かしてしまうモノで
どんなにこっちが喋った所で「ふーん」で終わりである
それを見て「コンチキ、、!!」なんて一人で憤慨し
さらにお喋りに熱が入ってしまって自分でこんがらがってくる






『旅』と言ったってそれは別に特別な事ではなくて
随分と昔から当たり前のようになされている

アフリカで二足歩行を始めた人類はまだ陸続きだった時に世界の方々の大陸へ歩き出した
ゲルマン民族だって肥沃な土地を求めて大陸を放浪したし
そんな大人数でなくても我らが日本列島を測量すると言って
かなり正確な地図を実際に歩いて書き上げた伊能忠敬という偉人もいらっしゃいますし
今だってスカンジナビアのジプシーやらゴビ砂漠のモンゴリアンにはまだ流浪の民もいる

その例は枚挙に暇が無い


『旅』にはここで『移動』というキーワードがあるのがわかる


実際台湾を出る辺りでブログにそれを書いた気がするのだが僕はその言葉に行き着いた
オーストラリアと台湾に長く『定住』して居た末ににそれを感じたのだから
多分間違っていないだろう


『旅』とは『定住』の反対語である


『定住』は昔人類が農作を『発明』してからのモノで
言ってみれば元来人類は『旅』が根本の生活スタイルであった訳だ


という流れでくると旅がブランド化するというのは
本来の意味合いからするとオカシナ事である訳で
今単純に選択肢の一つとして落ち着いたのはとてもいい事だろう

大学生なら一度は長期休みでも利用して東南アジアでも行っとこうか
そんなのは何も特別な事では無くてほぼ誰しもがやっているではないか


だから今『旅』だなんて改まって聞くと
ちょっと昔に流行した服のトレンドのような感じがある

前に現れた新しい服のスタイル
それが今は定着して一つのレパートリーに静かに収まった感じ
それをしているだけで「オオ!」となる所はもう抜けた訳で
一つの選択肢として存在している

やっと本来の場所に収まったという所だろうか

ただ旅と言う中での『世界一周』などの言葉は大衆に浸透してまだ歴史が浅いので
そのブランド力は色褪せたと言ってもまだまだ力がある



そんな理由とさっきの情報社会における『旅』文化の興隆が
僕の中での『旅』という姿を見えにくくしていた










そうやって途中途中『定住』、旅人的に言えば『沈没』という事をしながらも
日本を出て一年程フラフラしていて辿り着いたのが『欲』という言葉である









タイのパーイで泊まっていたバンガローのテラスのような場所で
夜に愛二とポツポツと話していた時だった

その時僕達の旅は一つの節目を迎える所に居た



台湾から愛二はモンゴルに行き、尚吾はフィリピンに行き
愛二とバンコクで再会しパーイまで来た
その後アユタヤで尚吾とも再会し久し振りに三人になる
ただ、果たしてそれから三人再び一緒に行動するだろうか

僕達は既にタイからネパールに飛ぶチケットを取っていた
それはそれで遂に南アジアへ行くという節目を持っていた訳だが
その他に愛二とはインドの後に別れる事も決まっていた
果たして尚吾はどうするのだろう
メールを貰った感じだとどうやら前に言っていたのとは違う新しい何かを見つけたようだ


一緒に計画した僕達三人の旅がそれぞれの想いをしっかりと持ち出して
それがルートにも直接現れるようになってきた

もともと日本を出る前からフレキシブルに行こうと言い合っていたし
むしろそれが理想であるべきだ、とみんなで結論していた
だからこれは然るべき結果ではあるのだが
それにしても無計画にバラバラになるのは本末転倒である
僕達は三人で一緒に計画して一緒にみんなにバイバイをしたのだから



そんな状況だったからバンガローでの愛二との話も旅のルートの話であった
それをしているうちに『旅』とはどういうモノか、
そんな話をし合っている事に気が付いた

旅とは移動が重要な要素であるのだから
ルートの話をしていてその話に行き着くのは必然だろう


そこで僕は話しながら頭の中で突然リンクした所があった
話しながらある事に気が付くのは誰しも経験があるだろう

僕はベトナムのサパで迎えた大晦日の時と
その時に書いた自分のブログを思い出していた



僕達は今年の新年をベトナムのひっそりとした山間の町サパで過ごした訳だが
折角の節目なのでひっそりと宴会でもしようとなり僕がウノに負けて幹事を仰せつかった
街を歩き回ってある小ぢんまりとしたお店を見つけ貸切の年越しパーティーをした

そこで僕達は一年を振り返って漢字一字ずつをそれぞれに送る事にしたのだが
それは何も相手二人だけではなくて自分自身に対してもである

そんな時に僕は『欲』という言葉を自分にあてた

新年のブログにも書いた事だが
この言葉は何も去年一年だけでは無く今年一年に対しての想いでもあった
「『欲』に正直であれ」
人間はこれにまみれている
行動の理由を辿れば何処にだってその根っこはある

友愛だって平和だってビジネスだって

色んなこんがらがった理由を並べ立てたりするけれども
そこにはシンプルに欲が存在している筈
社会を離れているとそのシンプルな経路が暴かれる
なかなか誤魔化しが効かない



それを旅の話をしていて突然思い出した
サパの時は確かにこれからの一年の旅を想って『欲』と書いたのだが
それはどちらかと言えば自分自身の生き方に対してであって
特に『旅』という所に重きを置いていなかった

今回突然それが結びついた


「旅の道は欲の道だ」


と言った気がするがその時僕の頭の中にはホームページの映像があった

自画自賛のつもりは無いが(というかあれは友人ナミヘイ氏の力による)
僕はあのトップの薄い世界地図にしっかりと色の付いたラインが
縦横無尽に描かれていっているのを見るのが好きだ

あれを見ていると単純にも
「いやあ随分と来ましたねぇ!」
「西の方にも早く延ばしたいですねぇ!」
とか言ったりして自己満足に浸ったりするのだが

「旅の道は欲の道」と言いながら
あのラインこそ今の僕達の欲の形なんだとスゴク納得した





旅をしていると社会のしがらみから一旦解放される

すごく大雑把に言ったが色々な関係性から
抽象的にも物理的にも離れるのは間違い無い

そこで起きる事はさっきにも少し触れたけれども
見えにくかった欲が姿を現してくる事である


社会の中にいれば自分の遣りたくない事だって遣らなくてはいけない
仕事なら例は簡単だが小さな所なら電車を待つ所にだってそれはある

社会は何かと問われれば、いつか前にブログにも書いたがそれは『ルール』であると思う
そこには必ず幾ばくかの我慢がつき物である
社会に『定住』する限りその我慢は付きまとう訳で
そこに生活している以上何か理由をつけて自分の行動を正当化し
我慢を緩和させなくてはいけない

まあ、昨今の社会構造は少しずつ変化していて
フレックスタイムやら個人主義やら自己啓発セミナーやらが流行り
21世紀に入ってから余計に日本現代社会は流動的な感があるけれども
それでも社会はルールである事に変わりは無いだろう

それが言ってみれば欲を見えにくくしている


旅に出るとどうか


世界の何処へ行ったってそこには社会が存在するのだが
『easy come, easy go』という旅人を表す言葉があるように
根本的にはそこそこの社会に属する訳では無い
『定住』では無いからだ

そんな旅人に常に付きまとうのが『選択』である

「さて今日はどうしようか」
「街をぶらつくか、それともまた別の街へ行くか」

そこに居るも居ないも完全な自由
場所によってはその日の思い付きで国を越える事が出来る
それがキリスト教国からイスラム教国へであってもだ

行き先は特に決まっていない
ある場所である人に出会った
その人にまた再会したいからじゃあルートを変更しようか
ルートなんてあって無いようなものだ
ある人にどこどこを紹介されたからじゃあ行ってみよう
そんなのが常である

そこにはもう自分の純粋な欲望しか無い
むしろ欲が無くては旅は前に進まない


旅が前に進まなかったらどうなるか


それは『沈没』であり『定住』である
既に旅では無い

『沈没』するのも『定住』するのも悪では無い
旅の対義語としてあるだけである
旅の途中に立ち止まったとしたらそれは『欲』の充電のようなモノ

社会に生まれて社会に育てばそうやって純粋に自分の欲という所に
なかなか目がいかないのでどうしていいかわからなくなる時がある
自信が無くなる時がある(少なくとも自分はそんな時がたまにある)

よく昔から『自分探し』の『旅』と言うが
それはつまり自分の欲を確かめに行く事を言っているのだろう


別に僕は自分探しをしているとは毛頭思っていないが
というか単純に世界を見てみたいという欲に動かされているのだが

さっきのホームページのライン
あれは言ってみれば僕の欲の発露であって
等身大の僕を表している訳だ

人を判断する時、その人が何をしてきたかが大きな情報源になる訳だが
言ってみれば僕の辿ってきた旅路は
最も純粋にそして強烈に僕を表現しているモノという事になる






ホームページに描かれているラインが今の僕である







長々書いてしまったけれども
これが今の僕の答えであってそれはつまり今の僕であるという事です





今一番行きたい場所



きっと今日の文章はかなり長くなってしまうだろう

書く前からこの高揚感ではとめど無く想いが溢れてきて
でも抑え目にまとめ上げてしまうのも中途半端に意味ありげに終わらせてしまうのも
僕の中で納得出来ないし書かずにはいられない

それは僕のこれからの旅路に向けてもそうだし
何とかみんなにも読んで欲しいと思ったから

この本も、そしてこれを読み終わった僕の想いも











この間まさみが来てくれた時に日本から沢山の本を持って来てくれた

オノヨーコの詩や谷崎潤一郎のエッセイ
英語学習本や「仕事」を新しく開発してきた人達を集めた本
大小合わせて全部で十冊以上

まさみには申し訳無いが
それを鞄から一つ一つ出して見せてくれている時
僕は睡魔に襲われていて殆ど身体を動かせずに
ゆっくりと頷くくらいしか出来無かった

ただ遂に取り出された一番最後の本
それに僕はつい身を乗り出して反応してしまった


立花隆著の「宇宙からの帰還」


手にとって裏表紙を見ると
『宇宙飛行士の衝撃に満ちた内的体験を、、、』
と書かれている

タイトルを聞いてなのか表紙に写る宇宙飛行士の船外活動の写真なのか
どちらにしろ瞬間的にこれは絶対に面白い
というか今まで正確に認識していなかったけれども
宇宙飛行士の精神的な世界を知る
宇宙という異質の空間を体験した彼等の想いの変化
この命題以上に僕の関心を寄せるモノは無いと思わせるくらいだった




愛二がモンゴルに出発しまさみも日本に帰国し

脱力感とそして虚無感が襲って来る時に
何とかそこに取り込まれないように本をまずは読もうと思った


迷い無くこの本を手に取った
それからずっと読みふけった


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今まで宇宙に飛んだアメリカNASAの宇宙飛行士
それぞれの素性
宇宙での詳細な体験
宇宙体験後の宇宙飛行士の進路
彼等の宗教観から世界観に人類の将来像まで

宇宙飛行士の一連の人生を様々な事実から洗い出し人格を捉え
精神面をインタビューによって引っ張り出し
宇宙体験前後の違いを明らかにしようとしている





宇宙飛行士とはまさにイメージ通り
かなりの狭き門をくぐってきたエリートであり
技術者として学者として研究者として一流が集まっている

そんな彼等は宇宙体験の後に様々な道を辿っている
宗教家、政治家、投資家
人間の精神を分析する人もいるし
地球環境汚染に取り組む人もいるし
うつ病になり精神病院に入る人もいた



実際にこの本を読んでまず惹かれたのは知識量と単語量の豊富さだった

勿論著者の立花隆氏の徹底的なジャーナリズム
詳細にわたるまでの調査による情報量も然るながら
宇宙飛行士たちの言葉の節々に滲み出てくるインテリジェンス
多分地球上で最高のテクニカルな部分の知識を持った彼らの思考が
スピリチュアルな体験をも巧みな数学的言語体系で語るのだ


彼等が向かった宇宙は科学的な面においても哲学的な面においても
今現在考えうる最上で最高のフィールドであって

彼等の体験のもたらす意味は
様々な所で対立する科学と哲学の二つのストリームに
架け橋を渡す事になるかもしれない訳である


理系的な思考からは文系の論理が理解できないし
文系的な思考からは理系の活動を批判しがちになる

でも宇宙飛行士の言葉は世界トップクラスにテクニカルだし
でも宇宙飛行士の体験は筆舌し難い最高の美しさの中にある

人の思考はそれぞれ同じ構造の脳から発信されているのだから
科学的な活動だって哲学的な論理だって
本来トータルに同じフィールドで語れる筈ではないのか
はたまた全く新しい考え方が現れるかもしれない
その可能性を宇宙飛行士の言葉に探そうとしたのだと思う


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そんな中僕を捉えて放さない単語があった


不可知


不可知の直接の意味は「知る事が出来ない」という意味
不可知論や不可知論者とは
「感覚的経験以上の実在を人間は知る事が出来ないとする立場」
の事やそれを主張する人達の事である

ここで言う「感覚的経験以上の実在」とはもっぱら「神」の存在を指す
「見た事も触った事も無いのだから神がどんな姿形をしているか論じる事は出来ない
ただこの世界や宇宙を創り出した何かは存在しているだろう」
という主張と
「存在の有無すら論じる事は不可能だ、何故なら何も実際に見ていないし触っていないから」
というそれぞれ二種類の大きな主張がある

つまり
「宗教っていってもピンとこない
だって神なんて今まで見た事ないんだから」
という感じ


僕がここで言いたいのは神についてではない
「感覚的経験以上の実在」とは「究極的な真理」をも指している


僕は多くの日本人と同様に特定の宗教を信じている訳ではない
そして多くの知識を持っている訳でもない
キリスト教徒はイエスを信じ
仏教は仏陀の教えを、イスラム教はモハメッドの教えを守っている
その程度だ
経典などは読んだ事が無い

きっとそれが宗教といった時にそれぞれの宗教を見る事無く
全体的な人間にとっての宗教の位置付けを必然的に見るしかなくなって
大きな枠組みでの宗教論でしか判断出来ない



例えばこんなふうに考えたりもする
神や宗教はある個人が精神的崩壊へ向かわないように意思を補完するシステムだろう

不治の病にかかって余命を宣告された時
もっと身近で言えば親が離婚しただとか
恋する人に告白して散々けなされて断られた時だとか

そんな時にこの事件のカラクリや前に進む為のカラクリを説明してくれるモノが必要だ

何で僕はこんな病になってしまったのか
じゃあ今までの人生は何の意味があったのか
もう何もする気が起きない

何で私の親が離婚するのか
私のせいなのか
一体私はどんな人間になればいいのか

何であの人は俺をあんなにけなすのか
俺の何処がダメだったのか
ただあの人の好みに合わなかっただけかそれとも誰とも相容れないのか

答えが必要になる
宗教ならば運命論や神の啓示や
よくわからないけれどもそんな理由を添えてくれる
そしてやるべき事も経典に載っている
祈りや懺悔や

でもそれは自分なりの何かであってもいい訳だ

山に登って山頂から叫ぶでも散財するでも
友人に当り散らすでも酒を飲みまくるでも

それをしたらもう大丈夫というようなスイッチみたいな
どれだけ自分がそこに確信を持っているかで補完はされる




そんな典型的な日本人の僕でもやはり精神世界については考える
それは僕にも勿論内的環境があって想いを巡らせるから




だから精神的に訪れる様々な悩み
挫折や孤独に存在意義や目的意識も
それらに対して考えを膨らませ答えを求めようとする

宗教的な信じる対象が僕の中には存在しないので別の所に求めようとする
その存在は自分の経験や感覚から捻り出そうとする

その捜し求めているモノがつまりはここで言う
「究極的な真理」なのだと思った





今回の世界一周の旅
僕はきっとこの「感覚的経験」を沢山積む事によって
より「究極的な僕なりの真理」を求めて
終わり無き道を歩いているのだと思った

全てをひっくるめた答えは得られない事を知っている
宇宙は無限だから
でも僕の感覚的経験を出来るだけ大きく広げる事が
僕の真理をより揺るぎの無い大きなモノにしてくれる



いつかのブログにも書いた
今ある物理科学の法則は経験則であり
繰り返された実験の結果から方程式を導き出すというモノ

つまり今の科学の範疇から外れているモノ
まだ人間が到達できていない場所
例えば宇宙の先や地球の中心部だって
これらの方程式が当てはまるかはわからないのだ
事実が先に起こってその結果をまた当てはめる事しか出来ない
予想は出来るけれどもこの物理世界が何処まで通用するかはわからないのだ




僕は積極的不可知論者だったのか
宗教的にも政治的にもリベラルではあると思うが
それでも人間的に何かを求めるという方法として







この本の中で紹介されている宇宙飛行士は
それぞれ様々な背景を持って宇宙へと行っている

それぞれが別の考え方を持っていて
それぞれが別の時期に年齢に宇宙へ行っているのだが
立花隆氏が指摘しているように殆どの人があるいくつかの同じ想いを共有している


皆が宇宙から地球を眺めた時に

地球はとてつもなく美しい存在であり
宇宙から眺めるとそこには国境や宗教の違い
そんな物は何も見当たらないし
ローカルな概念は一切飛んでしまう

と感じるという



本の中にあるアポロ7号の乗組員ドン・アイズリの言葉で

『相違は現象で、本質は同一性である。
地表で違う所を見れば、なるほど違う所は違うと思うのに対して、
宇宙から違う所を見ると、なるほど違う所も同じだと思う』

と言っている

そんな彼は帰還後にNASAを退職し
平和部隊に入ってタイのバンコクに行った事があるという

『本質的にはみな同じ、という認識の上に、それにも関わらず、
みんな違う所で違う生活をしているという現状の認識もある。
地球はこんなに広いのかと思った。(中略)宇宙から見た自分の知らなかった世界を
今度はクローズアップで見てみたいと思った』

違いを経験した後の結果はやはり本質的に人間は同じという認識だった
そして宇宙飛行経験以来
他国人他民族の人に対する感じ方が全く変わったという





幸か不幸か僕は台湾と日本の文化的境目に生まれた
しかも日本という国は表面的には単一民族国家であり
文化的にすごく閉鎖的で宗教的にすごくリベラルであるから
僕の内的思考は何度もここに帰着してきた

親戚との間に上手くコミュニケーションが取れない事は言葉が通じないから
上手く日本語が組み立てられないのは幼少期に先に中国語を取得したから
海外に興味を持ったのは台湾と日本の二国が常に身近にあったから

今までのブログ、特に台湾でのブログでもそうなように
台湾と日本を比較する事によって簡単にもっともらしい解答が得られ
納得と共にそれなりの感情を伴った経験が蓄積された


だから僕の中ではこの事実は少し便利すぎるし安易すぎるし
究極的真理の前には物足りないものだった


ただ根幹としてはそこからスタートしてるから
土台として否定できるものではない
ここから僕の真理の探究は始まらざるを得ない

そこからの膨らみが台湾と日本という二国から
大きくまだ見ぬ世界へと視線を移させたのではないだろうか

台湾と日本という二つの世界を見て
そのそれぞれに活動している人達を見て
それぞれが社会を形成している
片方を否定すれば僕は不成立になってしまう
両方を肯定しなければ僕という個性は成立しない

それは極端に言えば人間は本質的には同質でなくてはならないという事で
この点でアイズリの言葉にすごく共感した

そして今まさに僕は世界を見ようと廻っている最中なのだ







共感


宇宙飛行士の話に何度も唸り
なるほどとなったのは何も宇宙飛行士達の話が巧みであっただけではない
強く感動したのは共感という感情を伴ったから
いくつもの思考の共通項を見出せたから



例えばアポロ14号のエド・ミッチェル
彼は月と地球の間で超能力実験をした人物で
実はその実験はそれなりの成果を挙げている
人間の頭脳や精神の能力可能性をテクニカルな視点から追求している

彼曰く

『いわゆる超能力というのは、結局、人間がその環境とコミュニケイトするときに、
物質的コミュニケイトだけではなく、精神的コミュニケイションもするということ、
環境に働きかけるときに、物質的に働きかけるだけでなく、
精神的に働きかけることもできることを意味している』

と言っている


ちょうど僕は先月のブログにこう書いた
2月22日付けの「世界で二つだけの花」の中で

『「その場所」が強烈な力を持っているような
壮大な自然だったり、歴史的に大きな力を持った遺跡だったりすると
そこにある場所が大きすぎて
日頃感じている、場所に参加している筈なのに
場所と精神的なコミュニケーションが取れない錯覚が
僕が場所から置いてかれている孤独感を感じる事になって

そんな「場所」への固執からくる物理的なメッセージが
旗を立てたりそこにある石に名前を彫ったりする事に繋がるのか』



僕はこの時「場所」について書いていて
ミッチェルの言う「人間」という所とは落とし所が違うのだが
この言葉の奇妙な一致がさらに僕の心を振るわせた




別にここで地球上のエリート中のエリートの言葉と
僕の言葉が一致した事を自慢したい訳ではなく

むしろ逆で

今まで人類の歴史上ごく限られた数しか経験していない宇宙を体験した人の言葉と
ただの一人の地球を這いずり回っているどうしようもない男の言葉が
ここでたまたま一致したという事が
僕にはやはりすべての人間は本質的に同質だという事への
また一つの証明に繋がっていると思えてしょうがなかった






ただ共感といっても限度がある
何よりも宇宙を経験して得た特に神秘体験は
やはり経験した者にしかわからない
それは不可知という観点からもそうだ

本の中で紹介されている神秘主義の古典的分析として有名なウィリアム・ジェームズ

『神秘体験には共通の特徴があるとして、まずその表現不可能性、
伝達不可能性をあげている。そして、それはちょうど恋愛経験がない人に
恋愛真理を千万言を費やしても説明できないのと同じこと』

さらにもう一つ

『日常的な知性、理性をもってしてはとうてい得ることができない
真理の深みを洞察した状態だ』

と書かれている



いくら説明しようとしても
宇宙飛行士達が受けた精神的インパクトは
なかなか全てを汲み取る事が出来ない

彼等がいかに使命感に燃えても
地球の素晴らしさを表現しようとしても

それが神秘体験であればあるほど
感銘が大きければ大きいほど困難を要する
そして同じだけ受け取る側も困難だ



彼等の言葉がこれほどまでに自分勝手で
それでいてなんとなくの説得力があるように感じるのは
彼等は自分達が数少ない宇宙を体験した人類であるという自覚があるからだろう

何を想っても何を言っても
結局の所は宇宙という所にしかその答えは無い
という少し突き放した感じ

それが出来るのは繰り出される考え方や言い分の元になっている体験を
ほぼ全ての人がしていないという事実
嘲笑の対象にはならないし批判の対象にもなりにくい
さらには賛辞されるべきものであって存在するだけで興味の対象だ
悩むべき意見の対立は殆ど無い



彼等が受けた感銘は非常に大きなモノで
きっと誰もが大小あるかもしれないが
心の奥底で動かされる筈だけれども

結局日常的な知性や理性ではなかなか到達できない



だから人間はそういう想像以上に大きなモノから離れて
身近な所で一番の感動と幸せを感じるのだろうか

仕事から帰って暖かい食事が待っていて
愛する人と会話を楽しみながら時間を過ごしたり
酒を飲みながら過去を友達と語って最高だと言ったり

いやその幸せを決して否定している訳ではない
実際僕はそこに幸せを感じる

つまりは至上の真理といったモノの中に
幸せとは無いんじゃないだろうか
ただ諸行は無常であって
その境地は僕達にせめて精神的な安らぎを与えるだけなんじゃないか



真理には幸せの答えは無いのかもしれない



だから真理を求めるこの旅には
単純な幸せなどある筈がなくなってしまうし
これからもその答えらしきは旅からは手に入らないのかもしれない




ただ僕にはこの真理の探究の他に事実として日常を過ごしている
街を歩き食事をし人と話し

僕は節々で幸せを感じている
それはこの旅の最中も

宿の管理人の恋の相手がもうすぐ遠くから訪ねてくる話を酒を飲みながら聞いたり
道を通る度に声を掛けてくれて自家製ビール片手に笑い合うだとか
たまたま家に招待されてその家の親戚一同の豪華食卓に呼ばれるだとか

それらの場所が
マレーシアであったり
カンボジアであったり
ベトナムであったりは
殆ど関係無い

目の前にいる宿の管理人にビール売りに声を掛けてくれた人がいるから
その現象が起きていてそして僕は幸せを感じている

つまりは人がいる時
僕は心の中に幸せを感じる事が出来る
誰か人がいる事によって初めて僕は幸せを感じる事が出来る





真理の探究は自分しかいない
それは僕の場合
自分自身の内的世界を前提としているから
だから自分勝手になりがちになってしまう

きっとそれがこの僕のブログを読み難くしているしている遠因だろう

この旅の本質はそこにあるような気がしているから
つまりは幸せとか生活とかとは別の
脈々と昔から流れてきた僕の思考が大きくなって
きっと今の世界一周に辿り着いてそしてなお流れている





これはきっと僕だけの話ではないと思う
自分の内的世界には自分しかいない
けれども幸せは誰かがいなくてはいけない


今その両方を同時にブログに吐き出しているのだと思う








ただ旅として真理を本当に追究するのであれば
世界は基本的に同質であると考えているのであれば

世界の何処へ行っても
世界の何を見ても
きっと劇的な変化は訪れないのかも

徐々に大きくなっていくだけで



その理由はきっとこの本の中にあって



きっと僕はだからこの本に夢中になったんだ










僕は宇宙に行きたい










何処に一番行きたいですか?と聞かれれば何とでも答えられる

ピラミッドでもマチュピチュでもモアイ像でも
でもどれもそれぞれの意味があってそしてどれもそれぞれの意味でしかない
独立していて根本は地球に帰属している
だから全部を見に行かなきゃいけないなんて無い
見に行けないならしょうがない
見れたらラッキー
それくらい

どれが一番など無い
モアイ像が見れたからってピラミッドを知れる訳ではない
マチュピチュに行ったからってモアイ像を想像できる訳ではない
極端に言えば同質の一つの方程式を手に入れたというだけ


でもあえて一番を問われれば
一番というのが他と比較して格段に大きな刺激を与えるモノだと考えるならば
今なら僕は迷わず


宇宙!!!


と答える





その全く違う世界
地球上の世界は結局何処にいっても同じだと

それを本質的にもっと感じたい


きっと
エジプトに行ってピラミッドを見ても
ペルーに行ってマチュピチュを見ても
チリから飛行機でイースター島に行っても
結局は同じ世界で同質なモノだという証明の繰り返しなのだったら

幸せは何処にいても無いようでそして有る
すぐ身近にある人々との共有なのだったら
何処にいても変わらないのだったら


もう一気に宇宙に飛び出したい






世界は昔に言われていたよりもとても狭いだろう
誰でも飛行機に乗れてしまうし
誰でも簡単に違う文化に触れる事が出来る
世界一周をしている人なんて沢山いる

もう世界を貫く方程式は沢山出来上がっている

だから大きなもっと沢山のモノを内包した方程式が欲しい


スーパーファミコンが任天堂64になるような
プレイステーションがプレイステーション2になるような
32ビットが64ビットになって世界の広がりを内包し
映し出す景色がより真理に近づくようになりたい

64ビットになったって32ビットの世界が出せなくなる訳じゃない
すべての世界を内包して出来上がった新しい方程式なのだから
だからそれは全く新しい世界ではなくて
過程の先の世界なんだ


より一歩広がった真理の世界









この本を持っている僕は今世界で一番宇宙に近いと思った
というよりこの本が宇宙への窓になっていてそこから覗いているような

さらにこの窓は万華鏡のように様々な色に彩られている
でも見ている対象は同じモノなのだ



だから読みふけった



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事実僕は今日寝れなかった


布団を敷いて横になって本を読み
結局読み終わってからも天井に光るライトを見続け
興奮というよりは心臓がただ早く打つ身体と共にただ呆然と時間を過ごし
突然我慢できなくなって起き上がり
パソコンの電源を入れ
そのままこれを書いている

朝だったのがもう夜になっている
それでも心臓はまだ早く打ち続けている






宇宙へ行きたいだなんて突拍子も無くアホみたいな話だが
それでも気持ちとしては一気に飛び上がってしまった


今の僕にはとりあえず世界に散らばる色々な方程式を
掻き集めていくしかない

事実それすらも劇的ではないと言ってはおきながら
結局僕の感覚的経験として知らない事なのだから







小学校から大学まで一緒だった友人は
小さい時によく俺は宇宙飛行士になると豪語していた

小学生によくある夢の選択肢の中の一つ
としてではなく彼は随分大きくなるまでその夢を語っていた
結局その夢はいつの間にかジャニーズ事務所に変わり
それから社会の先生を経て今は造船所だかにいる

何処まで彼は本気だったのだろう
何処まで彼は考えて言っていたのだろう

その当時はみんなで
本気で言ってるのかよみたいに笑ったりしていた
でもどの宇宙飛行士も子供の時からしたら突拍子も無い夢だった筈だ


別に僕の夢が宇宙飛行士になるというモノになった訳ではなくて
今この世の中において宇宙は段々と近づいてきている
お客として宇宙へ行った実業家も何人もいる


友人がどう考えていたかは知らないが
その彼に今言いたい

今僕はすごく宇宙に行きたいのだ
お前は凄いなあれだけ早くにこの魅力を惜しげもなく言葉にしていたなんて





著者は最後のむすびでこう書いている

『私が宇宙体験をすれば、自分のパーソナリティからして、
とりわけ大きな精神的インパクトを受けるにちがいないだろうと思う。
そのとき自分に何が起きるだろうか。私はそれを知りたくてたまらない』



まさしく僕もそう思う
僕は行きたくてたまらない

そしてその時どうなるかを


僕もとてつもなく知りたい









やっぱり長くなってしまった
でもどれも今の僕には外す事の出来ないモノだった

僕の内的環境について
別に誰にインタビューされている訳でもないのだが
それでも僕は自分自身での整理の為と
きっとこれから訪れるだろう色々な場所に対する感想
その思考経路としてこのブログに書き記さないといけないと思った


一言一句すべて読んでくれた人はいないだろうけれども
飛ばし飛ばしでもざーっと目を通してくれただけでも
有難うございます


この間1月のブログで懺悔したばかりなのに
もう長くしないって決めていたのに
どうやら僕にはあんまり向いていないのかもれない




何よりもこの立花隆著の『宇宙からの帰還』を読んで欲しい

先述通り幸せについて書かれたモノでもないし実用書でもない
実に内面的で自己中心的な話で溢れているのだが
感動という所からは少し外れていると思うし
だから感情的に興奮するというのも少しピンとこないけれども
でもきっと寝れなくなると思う

そして誰か僕と


一緒に一晩飲んで語ろう
僕はこれだけで一晩中話せる気がする





いやそんな物好きはいないか









外に出てみたけど雨が降っていて
空はすごくぶ厚い雲に覆われている

勿論宇宙なんて見えない
せめて太陽か月でも見れたら
少しでも余韻に浸れたのだろうけれども、、




とりあえず書き終わったので
僕はこれから寝る努力をしてみよう



20100308-2.jpg





すいません僕のブログ

みなさんいつも僕のブログを覗きに来て頂いて有難うございます


この記事で初めての人も
今日時間があってたまたまクリックした人も
訳も分からず誰かに引きずり込まれた人もいるでしょう




果たしてこのまま読み続けて頂けるのか
それはまさにこの文章の魅力に関わっている訳ですが



さて魅力って何でしょうね



いつも見に来ている人は
一体何を思って見に来て頂いているのか



そこを掘り下げるべきでしょうか




でも僕には今この画面の向こうに誰が居るのか知る由もありません
コメントやメッセージが無い限り





果たして誰に読んで欲しいのか
そもそも読んで欲しいのか

このブログを書き始めていつもいつも考えている事



だって旅をしていながら
まさかこんなにブログに時間をかける事になるとは思ってもみなかったから
じわじわ頭はブログに侵食されてきていて

ここまでやるんならどうせなら沢山の人に見て欲しい
という気もどうしても起きてきてしまうのが人間でして

何というか大事に大事に育てた子供を看るような感じで
この子には大きくなって欲しいというような親バカな精神




そうなったらもう可愛く思えてきてしょうがない

いやブログを自分で絶賛する訳ではなく
読み返してみたりすると


この単語がここで思いついたのは気持ちが良かったよなあ

とか

この描写はまさに自分の頭の中の映像を呼び起こしてくれるよなあ

とか

ここでこの写真を持ってきたのは会心だよなあ

とか


細かい所で小さな満足感が積み重なって
記事がある程度の数に達すると
大雑把に眺めてみてよくぞここまで大きくなった

と悲しいくらいに子供の頭を撫でてしまう




分かってるんだけれども
恥ずかしいくらいに自慰的なんだけれども
その時の快感はやめられない




でもふと見回せば自分の周りには今誰もいない
このパソコンの画面の向こうの人達と直に会う事が無い
ネットの環境なだけでなく
実際に今僕は住み慣れた生活の場を離れている

日本には気の知れた親友も沢山の時間を過ごした彼女も
当然世界で一番僕の事を知っているだろう両親が居て
僕の事を簡単に理解してくれて
そして社会の中の僕という存在をやんわり保証してくれている



そこから離れて行った
実際に会って話し合ったり経験を共有したり
そういう繋がりを日本に置いてきた
社会と繋がっていた沢山のパイプの蛇口を閉めてきた

感情や知識の供給をしていたパイプ
両親の言葉
親友との経験
社会をみんなと過ごして感じていた

目の前の事にかまけて自己満足に浸っていると
使わなくなっていたパイプはあっという間に錆付いてきたりしている
社会との繋がりを維持してきたパイプは脆くなって

目の前には
蛇口からちょろちょろ何かが出ているのもあるし
蛇口を閉めていないのに管がボロボロにあってしまったのもあるし
蛇口を閉めたまま錆付いて開かなくなってしまったのもある


怖くなって闇雲に蛇口をひねってみる
でも今度は蛇口が取れてしまったりする


ねえ誰かいないの?

誰か答えてくれ

俺だよ!ここにいるから返事をくれよ!


そう叫んでみるけれども
廃墟のような場所に声が木霊するだけ


整然と並べられた朽ちていくパイプを前に途方に暮れ
周りを見渡せばついこの間までパイプによって一緒に回っていた筈の社会が
僕を置いて急に早く回りだす


取っ掛かりを無くし
社会のどの取っ手を掴んで行けばいいのか分からなくなる


僕の周りには今までどれ程生活をしていく上で大事な人達が居たのだろうか
僕の周りには今どれ程の人が居てくれているのだろうか





自己満足の快感の後にくる孤独感
そして果てしない虚無感

沸き起こった感情の行き着く先が無い
パイプを通る事無く自分の中に溜まっていく

共有者を無くし
どんどん溜まっていく感情は
混ざりに混ざって動かぬ水は腐っていくように
黒く染まっていって景色を暗くしていく





結局共有者が居なければ僕は発狂してしまう


どんなに自分の好みがあったとしても






だから





すいません

僕のブログ


本当に読みにくいですよね




僕は読みにくいのが好きなんです
自分が本を読む時


すごく圧倒されるくらいに個人的な世界が描かれている本を読むと
その時頭が必死に回転しているのを感じる

その熱くなった自分が嫌いじゃないんだと思う

一生懸命に何かを汲み取ろうとしている
その世界に飛び込もうとしている
試行錯誤している

そしてある時にすっと世界観がマッチする時
パイプの詰まりが取れたような
詰まっていた物が一気に雪崩れ込んでくるような

その感触が好きなのかもしれない





でもそれって僕の話であって
今発信している僕のブログの話ではない


だから


何とかもっと読み易い伝わり易い
そしてわざとパイプを詰まらせて分かりにくさを利用するんじゃなくて
大きな想いをストレートに出して心を響かせるような

そんなふうに
そんな魅力をもったように

出来るように




日々精進していきたいと思います












こんな事を突然書いたのは
何を隠そう

なかなかあんたのブログは読み難いよと指摘されたからです



という事は



見てくれている人が居るという事なのだけれども







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    ふらふら何処かへ酒飲んで本読んで人と話してぼーっとして海に入って空飛んでバスに乗ってまたふらふら何処かへ、、何処へ?うーん。。とりあえずの試行錯誤継続鍛錬。

    2009年5月、日本を後にし、ゆっくりだけどそのうち加速予定。

    未熟ながらもなんとか自分の言葉で世界を書き起こしたい。ただいまその道中。


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