スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

悠久のメッセージ

[20100728]








社会の隙間を抜けていく生活において
新鮮な情報は生死にも関わる程重要なモノである

だから同じ状況下にいる旅人同士の情報交換というのはみな必死であるし
その方法も、先人達や現役の人達よっていくつも提案がされているし
活発である



一番ポピュラーな物といえばガイドブック
例えば日本では一番有名だろう『地球の歩き方』

今までの旅行者の情報や現地の特派員などの協力の下
情報を一括して編集し出版
編集するので見やすいし国ごとの歴史や状況を初めて理解するにはいい

しかし、膨大な情報を編集して製本、出版までするので
どうしてもタイムラグは否めないし
日々移り変わる情勢によって敏感に変化する細かい部分を知るのは難しい

そして本という物は兎に角重い

長期に渡る移動の旅にはなるべくその重さを減らしたいし
沢山の地域を渡る為に何冊も持ち歩くのはほぼ不可能だ






『日々移り変わる情勢』そして『持ち歩く』
という問題を克服する為に生まれた物がある

それが『情報ノート』と呼ばれる物





旅のルートやアクセスのし易さ、勿論サービスやクチコミなどによって
旅人が良く集まる宿というのが自然に形成される

殆ど途切れる事無く行き来を繰り返す場では貴重な情報交換が行われる
東からやって来て西へ向かう人は西からやって来る者へ話を聞く
逆もしかり


そんな中で、いつどこでだれがこれを発明したのかは分からないが
ある人がノートを買ってきてそこに自分の持っている情報を書いた
今まで通ってきた国の情報、国境の問題、国境から市街地までの移動手段等々
そうすれば自分が去った後もここを通っていく人がこの情報を頼りに出来る

さらにそのやって来た人が情報を書き足せば別のルートの情報も載る事になる
東西だけでは無く、南北からやってくる人たちもそれを見る
そして書き足していく

そしてそのノートは宿に保管され
半永久的に成長していく



そうやってインターネットの普及する前から
アナログに『日々移り変わる情勢』と『持ち歩く』という問題を解決した
一種のガイドブックが生まれた

それが『情報ノート』



今では世界中の宿にこの類いの物が置かれている
宿側もこの情報ノートを見る為に宿に人がやってくるというので
ちゃんと保管していたり、宿側が作成に携わったりしている所もある
























僕はこの『情報ノート』というのを少し敬遠している所があった


理由は前にも少し書いたが
僕はどうしても影響されやすい人間でありながら
いっちょ前にプライドを持っているもんで
影響されない為に情報収集に制限を加えてしまう


一度この情報ノートなるモノを読んでしまったら
きっとそこに書かれている事にとらわれてしまう
そんなんじゃあ飛び出して道を切り開いていこうとしている今
全く意味がなくなってしまう!

情報は自分の手で直接得ていくしかダメだ!


情報の取得に関して、情報ノートから得るのと人から得るのと
実は別に大した差は無いのだけれども
いちいちこの強迫観念が襲ってきて避けてしまう

避けているという事は意識している事でもあるのだから
その姿は哀れとしか言いようがない

自分でも変な固執の中に陥ってしまって息苦しかったが
一度はまってしまったのでなかなか抜け出せていなかった




と、そんな中で
最近無駄な出費が続いていた
というか旅をしている中で色んなムラがあった

比較はしていないが
絶対にこれ以外に上手くそして安く済ませる方法があっただろう
そう思う出来事が続いていてしょんぼりしていた

しょんぼりするとあれだけ動かざること山の如しだった
自分のプライドはペラペラになってしまう








ということで、遂に僕はダマスカスで一番有名と言われる宿
そこにある情報ノートを借りで読む事にした










、、ら、その凄い事



日付までみんな丁寧に書いているから
同じ場所の情報でも更新されている所もわかる

ちょっと田舎の方への観光だって
煩雑になりそうなバスの乗り換えも書いてある

バスの番号から時刻表まで
路線が繋がっていない間の移動手段
注意点


兎に角感銘を受けながら
必死に書き写している自分がいたのだった




















そしてもう一つ、僕がこのダマスカスで感銘を受けた事があった

それが前回のブログでも登場したゆうや君との出会いだった

















僕達は中東地域でも一番の大きさと保存状態と言われる
ローマ劇場があるボスラという街にバスで向かった

それは宿の近くにあるドルムシュという乗り合いタクシーに乗り込んで
郊外にあるバスターミナルまで向かいそこからボスラ行きのバスに乗る



その行程は無知で行けばまず大変な労力を必要とするが
これは情報ノートのおかげで無事に何事も無くたどり着くことが出来た

むしろこの『ちょっと遠出』というのが実現したのは
情報ノート、そしてゆうや君の持っていた中東版地球の歩き方による
でなければこの世界遺産を知る事も無く通り過ぎていただろうし
知ったとしても行くのなんて億劫と思っていたに違いない


今まであまり拠点のある街から日帰りなどで
少し郊外まで観光しに行くなんて殆どしてこなかったが
それを考え直さなくてはいけないと思った

当たり前だが情報と時間を上手く使えば
十分ストレス無く素晴らしい景色に出会えるのだから





















ローマ劇場というモノには初めて入った


中には入ればアーチに囲まれた回廊
天窓から指す光の筋


20100728 (3)


暗い中を進んでいくと横道があり
その先から光が入ってくるが眩しくてよく景色は見えない

何個目かの横道の先に人影があった
遠くからかすかに聞こえる音
吸い込まれるようにその横道に入って行く


20100728 (4)



テレビや本でよく見る景色だけれども
それでもやっぱり本物は違った





急に明るくなった視界に
段々と浮かび上がってくる大きな建造物





劇場は外から眺めて想像していた大きさよりも
随分と大きく感じた

ずらっと席が取り囲み
ステージがはるか下に見える



20100728 (5)



今もあるステージと何ら変わりない
過去から全く形が変わっていないのも不思議な感覚にさせられる

昔の人々もこの席に座って
下のステージで繰り広げられるストーリーに一喜一憂していたと思うと
すごく感慨深くなる

それは今の人と仕草が変わらないだろうという想像が
この過去から変わらない形によって確信に近くなるからだろう


20100728 (6)







ローマ劇場の裏には同じようなローマ調の遺跡が続いている
そこは昔のボスラの街並みである

石の文化

20100728 (9)




そこには電信柱や住所の表札などがあったりして
さっきの時間的錯誤の感覚にまた襲われる


20100728 (8)



遺跡の真ん中に一本通る大きな道


20100728 (7)



まさにこれこそ『全ての道はローマに通ず』か?
過去も未来も全ては同じ地続きの世界
















ボスラを観光し終わってダマスカス市街に戻る

そして僕とゆうや君は迷いなくある場所へ向かう
それはダマスカスで一番と言われるモスク
『ウマイヤドモスク』である


前日ゆうや君と出会った時に連れていってもらって
いたく気に入ってしまった

ゆうや君も日本に居る時からこの場所に行く事を夢に見ていたらしい



僕は現役のしっかりと住民の生活に根ざしたモスクに行ったのは
ほとんどこれが初めてだった

今までのモスクのイメージと言えば
やはり宗教、そして祈りである
そのまま宗教的建築なのだから当たり前なのだが
今回のこのウマイヤドモスクを訪ねてみてその考え方が一気に変わった













ウマイヤドモスクに行くまでには
沢山の商店がひしめく大きなアーケードを通り抜けて行く
いつもその道は混雑しているけれども
夕方の祈りの時間にそれはピークになる

なんとか自分の場所を確保しながら流れに流されると
自然と大きな門の前に辿り着く



だがなかなかそこから中に入れない
何故か人によく声を掛けられる

「ハロー!君たち何処から来たの?」

それは友達同士だったり
家族連れだったり
暇を持て余しているオジサンだったり

「シリアにきたのは初めて?」
「ダマスカスはいいでしょ?」
「ぜひ一緒に写真撮ってよ!」
「何かわからない事があったらなんでも聞いてね!」


20100728 (2)




どちらかといえば僕は
これからみなが大事にしているモスクの中に入るのだと少し緊張していた

それを一気に打ち砕いてくれた
言葉がマシンガンの様にとんでくる















随分と気分が軽くなって僕達はモスクの中へと入った


大きな広場に沢山の人影


20100728 (1)


そこには沢山の家族連れが円陣を組んで
既に太陽が沈んで青くなった空のもと
涼を楽しんでいた

広場を囲む回廊では友達同士がもたれかかって
笑いあっている

人々の合間を子供達が走り回って歓声を上げている
その声が空間の壁を反響していく


すごくのどかな風景が広がっていた


ここは祈りを捧げる場所であり
そしてみなの憩いの場であるのだと

だからモスクは街の中心であり
生活の中心でもあるのだと

この時理解した


そうだ、日本だって
神社の境内は一番の森があって
そして子供の遊び場なのだ


20100728 (10)








広場に寝そべって色んな声を聴きながら
ヒンヤリ伝わってくる床の冷たさで
日中熱くなった身体を冷やし
オレンジ色に光るモスクの建物に囲まれた
青い空を見上げる


この時間がとても気に入って
またやってきたのだ




ゆうや君と二人で広場に座るとすぐに視線を感じる

近くの家族の和から
みんなに小突かれて男の子が僕たちの方へやってくる

恥ずかしそうに

「一緒に写真を撮ってください、、」

と言う



不思議なモノで
旅中こっちから写真を撮らせてくださいという事はあっても
なかなか撮られることは無い

しかも一緒に

しかも相手のカメラで



いいよ、と言うと男の子は家族の方に何か言って
今度はお姉さんがやってくる

そして携帯電話のカメラで一緒に写真に撮られる







その家族がさると今度は若者二人組が僕たちのそばに座って
話しかけてきてまた写真を撮られる

何だかよくわからないけれども
悪い気はしない

それにしてもシリアの人達がこんなに人懐っこい場所だとは思わなかった
急にシリアに対する親近感を覚え出した














そんなことをしているとあっという間に時間は経ってしまう


モスクの閉館時間の5時がやってくる
広場の向こう側から警備員がみんなを追い出しにかかる

みんな重い腰をあげてぞろぞとと入口の方へ向かっていく


自慢じゃないが腰の重さは人一倍なもんで
警備員が近づいてきてもなかなか立てずにいた
そしたら警備員の後ろの景色が目に飛び込んできて
さらに身体が動かなくなってしまった

警備員の向こう側には人が一人も居なくなって
建物の光がキレイに大理石の床に反射していたのだ





僕たちは警備員が過ぎ去るまで少し待っていた

近づいてきて「時間だよ」と言われても
立つ素振りだけはしてちょっとの間遅らせてみる
警備員も何も強く言わずにすぐに周りの人を追い立て始める

そして僕たちはほんの少しの間だけ
贅沢な空間の中に身を置くことが出来た


20100728 (11)




すぐ後ろでは入口に殺到する人混みの声があるのだが
僕たちの視界の中にはまるっきり音が無かった

不思議な事に音が無くて映像が静止していると
時間が止まっている錯覚を覚える



いや、むしろこの空間こそ時間は止まっていて
悠久のメッセージを発信している
そう感じられた



20100728 (12)

















過去と現在は繋がっている
でも、中にはこうやって時が止まっているような空間が存在して

いとも簡単にその考えは弾力的に変化する



それが人がひしめくこの世界であるだろうし
人の頭というものだろうと思う





















自分のリズム

[20100727-2]






シリアの首都ダマスカスはアンマンの運転手が言っていた通り
アンマンよりも随分と大きいような印象を受けた
交通量は多く近代的なビルも多く建っている

それでいて歴史は有史9000年を誇るアンマンよりも
さらにさかのぼってなんと10000年にもなるという


僕はどうしてもたまに北米の数百年の歴史に対して
得意顔になってしまうのだが
東や南アジアの諸国も数千年なのだから
ハッキリ言って万年の歴史なんぞ検討もつかない


ここダマスカスには

『世界一古くから人が住み続けている都市』

という別名もあったりするそうだ


中東の歴史がまさかここまでとは
正直恐れ入った

















と、同時にやはりワクワクする



『知る』と同時に『体験する』事が出来るのは旅の醍醐味だ

しかも予定は決まっておらず
懸ける時間も自分の裁量次第



僕は宿探しを早々に済ませて荷物を放り出してから
身軽になって外に散歩に出かける

久々に全く一人になったというのもあって
今日だけは宛ても無くぶらぶら
ゆっくりじっくり満喫しようと思った

自分のリズムというのを思い出そうとしたのかもしれない








別に遠くに行く予定も無く
というか、またしても何も知らずに何も見ずにやってきたのだから
予定などある訳がない

宿の周りに広がる路地を無作為に選んで歩き回る






うねうねして細い路地を進んでいくと
あれ?また五叉路に戻ってきてしまった
今度はまた別の道に入ってみようかなあ
またそこもうねうねしてて
あれれ?またこの五叉路、、






迷路みたいな道とそこにひしめく小さな商店の景色は
日本の街並みを思い出させた





よくカメラ片手に散歩していたのを思い出す

子供の頃は家の周りや池袋
思春期になれば渋谷とか新宿とか
ちょっと大人になれば恵比寿とか目黒とか
高円寺とか吉祥寺とか西の方もいいな
はたまた谷根千に上野とか

結局カメラは持ってきたはいいけど
歩くのが楽しくて
歩くのを止めるのが億劫で
全然写真を撮らずに冬でも汗びっしょりで家に帰っていた


そしてきっと
そのまま僕は日本を飛び出して歩き回っているんだ

ちょっと長めの散歩


















いつの間にか僕の中での目印となっていた宿の近くの五叉路
そこにサンドイッチ屋があった


何度前を通っても行列の出来ていて気になった
といっても日本のラーメン屋さんみたいに整然と並んでいる訳ではなくて
セリ市のようにみんなショーケースに群がっている


みんなが思い思いに注文をしている
家でパーティーでもやるのか大型オーダーをしているらしい男もいる

きっと順番を抜かされていたりもするだろうが
僕はじっとどういうシステムになっているのか眺めていた
だってみんなの手際が良すぎて初見ではなかなか入る隙間が無い


20100727-2 (5)



ショーケースには野菜や肉がそれぞれ並べられていて
それらを選ぶと、カウンターの内側にいる中学生くらいの男の子が
手馴れた手つきでクレープと紙を敷いて
その中にオーダーされたトッピングを入れていく

細長く野菜や肉を並べると
くるくるっとクレープで巻き込んで完成

その一連の作業のテンポが素晴らしい


それはそうだ、
10人はカウンターの前に群がっていて
みんな大体複数オーダーをしている

それをオーダーの注文受付に
サンドイッチ作成にお金の遣り取りまで
全てこの中学生くらいの子一人でやっているのだ

やり込んで極めていない限り
任されてはいないだろう










段々とシステムを理解し始めてもまだそこに入れないでいると
隣に居たオジサンが話し掛けてきた

「オーダーするのか?何が欲しいんだ?」


『下町は厳しいだろ
 でもヨソモンだろうとこっちのルール守ってくれたら
 別に冷たくする訳じゃないんだよ
 むしろ心はあったけーぞ』

ちょっと得意げな笑みを見せるオジサンは
そんなふうにも言っているように見えた

というかオジサン(他の人も)は英語は全然喋れないらしい
だから実際は『オーダーを代わりに頼んでくれる』というのも
僕の想像でしか無いのだが
オジサンの笑みはそうだという確信を与えてくれる



実際僕がショーケースの中で欲しい物を指さすと頼んでくれた

手際良く中学生がクルクルと巻いてカウンター越しに渡してくれる
予めオジサンに教えてもらった値段分のコインを彼の出された手に渡す


『美味いぞ
 良かったな、あんたは運がいい
 ここはここらで一番いい店なんだ
 オレのヒイキの店なんだから間違い無い』


と言ったと思う、きっと
オジサンは十個くらいのサンドイッチを袋に下げて
僕の肩を叩きながら笑顔で見送ってくれた


20100727-2 (6)












また別の所でも行列が出来ている
覗いてみたら黄色いシャーベット状のモノを売っている

英語で話した所でラチが開かないからもう直感で並ぶしかない
というかこの暑さの中、シャーベットなんて洒落てるじゃないか
しかも安いし


それはレモンのシャーベットで
お決まりに頭をキーンとさせたけど
刺激と酸味が熱で朦朧としがちになる頭をシャキっとさせてくれた


20100727-2 (4)


ついつい僕は帰りがけにももうひとつ買ってしまった










年代物のピンホールカメラやネジ巻き電話や
表現すればアンティークであり
言っちゃえばガラクタが山のようになっているお店


20100727-2 (2)


パソコンを一台組み立てる為の部品
マザーボードやファンとか
何やら見た事ないものまでを揃えているお店


20100727-2 (3)





色んなお店が全部ちっちゃくてぎゅうぎゅうに詰まってて
楽しくて楽しくて仕方が無かった

殆ど何も勉強せずにやってきたシリア
その初めの都市ダマスカスでこんなにもどっぷりハマる事が出来た


20100727-2 (1)













数時間中東の太陽を頭の上に浴びながら歩いていたにも関わらず
宿に戻ってくる足取りは軽かった

自分のリズムで歩けたという事が良かったのだろうか
それともこのダマスカスの町が良かったのだろうか


どちらにしても僕のテンションは高かった
兎に角何か日頃出来ていない事をこなすチャンスだ
とばかりにリュックの中から日記帳を取り出す

パソコンをインドで盗られてから付けている日記
それが既に随分溜まっている



宿の共有スペースは吹き抜けになっていてとても気持ちが良い

真ん中に据えられている噴水は吹き出してはいないが
水がちょろちょろと流れ
風がその水面をなめて模様を作る

この空間では音はとても透明でキレイに反射する
みんなそれを意識してかしなくてか静かに過ごしている

そうすると前に座っている老夫婦と思われる二人も
何だか意味深で神秘的に見えてくる


20100727-2 (7)




日記を書いたり想いに耽けるにはもってこいのスペース
僕も日記だけではもったいないとリュックからメモ帳や世界地図や水も
色々なモノを持ってきて机に広げる










さあ、贅沢な時間を過ごすぞ












そう決めた時、後ろから声を掛けられた

日本語だ





彼こそは今後の僕のシリアの旅においてのリズムを決定付ける
ゆうや君であった

ここから僕の旅のリズムはまた大きく変わる








そう、

自分のリズムを楽しむなど
旅においては実は僅かな時間なのだ

むしろ人生においてそんなモノはもしかしたら幻想なのかもしれない

一人で生きるなど無理な話なのだから








国の境目

[20100727]







ヨルダンとシリアの国境は噂通り厳しかった






イスラム諸国は宗教上の理由からイスラエルと激しく対立している
例えば、国民に対してイスラエル自体への入国を禁止している


前のブログに登場したマレーシア国籍のヤン

マレーシアもイスラムを国教としている為に
彼のパスポートにはイスラエルだけ入国不可という禁忌が書かれていた

これは当然イスラム教国を多数抱えるアラビア半島でも同じ事である
そしてこの解釈を自国民だけでなく世界の人々にも当てはめており
イスラエル出入国経験のある外国籍の人に対しても
協同してイスラム圏全体への入国を拒否している


ヨルダンもシリアも共にイスラム教国であり
上の理を追随しているのだが両者には立場の違いがある









ヨルダンとシリアは歴史上深い関係がある

大シリア主義という思想があって
シリアを中心としてヨルダン、レバノンなどを含む地域は
文化を共有していている

であるのに国境は厳しい




それはまさにイスラエルの存在




シリアはイスラム社会の悲願
『打倒イスラエル』の精神の先頭に立っているのだ
中心というよりも位置的に斬り込み隊長としての意味合いが強い

いまだに『聖地』を奪還できないシリアに対して
イスラム社会全体からの強いプレッシャーがあるという



といっても接している面積で言えばシリアよりもヨルダンの方が大きい
ヨルダンが急先鋒になってもよさそうなものだが
実はここにはカラクリがあった








アンマン郊外
例のツアータクシーで砂漠の一本道を走っている時に
フェンスに囲まれた場所を通った

快調に飛ばしていた運転手もここではスピードを落としていたので
どうしたのかと聞いてみると、なんとアメリカ軍基地という



日本でも有名だろうサウジアラビア王室とアメリカとの癒着とは別に

なんと、このアラビア半島
イスラエルのすぐ近くそしてイスラム教国に
こんなにも大きな大きな米軍基地があったとは!!



運転手は続ける

「ヨルダンは他のアラビア諸国とは違ってあまり石油が出ない
 米軍に土地を貸す代わりに多くの金を毎年貰ってるんだ」



本来イスラエルはイスラム教国である
レバノン、シリア、ヨルダン、エジプトに囲まれているにも関わらず
陸路での入国が可能な道(裏技のようなものだが)が二つある

その内の一つがヨルダンである

国内に米軍基地を置く
戦略的政治を行うヨルダンだからかもしれない




実はアンマンにはイスラエルから戻ってきたり
これから行こうとする旅人が結構いる

『イスラエル出入国者はいかなる者もイスラム圏への入国を許さない!』

なんていうのはただ形式化しているだけのようにも見えるが
みんなの期待を背負っているシリアはどうもそのようにはいかないらしい


という事で歴史的にも関係が深く
思想も同じようでありながらヨルダンーシリア間国境は厳しい
特にそういった外国人に対して














僕も国境でストップをかけられた

係員はパスポートを全ページしっかりめくる
それぞれのページに目を凝らす
イスラエル出入国の痕跡を探しているらしい


それで終わりかと思いきや

「少し待っていろ」

といきなり僕のパスポートを持って裏へ
そのまま40分程放置された


あの、世界でもトップと言われるくらいの信用を誇る日本のパスポートの力が
ここでは全く通用していない

窓口の前にはフランス人、フィリピン人、スペイン人など
僕と同じ様に待たされた人々がいた














みな一様に静かに待っている中、軽く騒動が起きた


僕の前に並んで待っていた40歳前後のスペイン人が窓口で声を出した

「そんな馬鹿な!」

すると建物の入口から軍の関係者らしき人が現れて
彼の両腕を掴んで引っ張って行く
彼は離されていく窓口に向かって後ろ向きにさらに大声を出した

「カタールでもヨルダンでも大丈夫だったんだぞ!」


その言葉に答える者は誰も居ず
ただ建物の中をこだました


さすがに僕は心の中で

『マジかよ、、』

と少し焦った










その後に無事にスタンプを押されて僕のパスポートは戻ってきた
僕はまだイスラエルには行っていないし当然の権利だ
むしろ待たせすぎだ、と係員から乱暴にパスポートを取り返すも
そんな強がりでもさっきの男の叫びはなかなか消えない










この旅の中でここまで『国境』を感じた事は無かった








有難い日本国のパスポートに感謝した事は幾度とあるし
多くの国との友好的な関係を築いた先人達の努力を無にしないよう
行く先々でその名に恥じぬよう務めているつもりだ

沢山の場所を渡り歩いている事が出来ている
この恵まれた視点のお陰でその先の『平和』という理想が垣間見えてきたりもする

平和主義者な訳ではないが
様々な違いがありながらも地球上に同時に存在するという
なかなか見い出せない事実を感じれるというのは幸せではある



だが、それだけを体験する訳が無い



同時にひしめき合う『平和』が存在すると同時に
そのままひしめき合う『対立』も存在するのは自明

自分の生活している場所とは別の所で確かに対立が存在している
それは皮肉にも世界は広いという実感にも繋がる





日本がある東アジアにおける対立とは別の対立をここで実感した事は
強く心に残った













国境はまさに

色々な事情を背負った国の境目なのだ











main_line
main_line
Profile
    ふらふら何処かへ酒飲んで本読んで人と話してぼーっとして海に入って空飛んでバスに乗ってまたふらふら何処かへ、、何処へ?うーん。。とりあえずの試行錯誤継続鍛錬。

    2009年5月、日本を後にし、ゆっくりだけどそのうち加速予定。

    未熟ながらもなんとか自分の言葉で世界を書き起こしたい。ただいまその道中。


    name : LAN
    now : Quito ( Ecuador )
    latest update : 20120816
LAN Twitter
    旅の日記はなかなかリアルタイム更新とはいかないが、twitterならなんとか、、

     → follow me on Twitter

関連日記

共に旅立った同志達のブログ

sallan

I.G.
http://salig.blog37.fc2.com/

SHOGO
http://salshogo.blog37.fc2.com/


共に旅をするパートナーのブログ
ばーちーの、ちるり旅
http://jstyle623.blog129.fc2.com/

最新日記

 → check my all posts

カテゴリ
本 (0)
UAE (4)
カレンダー
08 | 2017/09 | 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新コメント
SAL
検索フォーム
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。